南青山D.J の削除コメント

ようやく「よしりん・もくれんのオドレら正気か?」#94
拝聴いたしました。
「自分のことしか考えない医者ばっかりになってしまった」
「専門家というものが自分の専門の勉強を全くしてない、知らない」
「教わってことから抜けられないから考えることができない学校秀才」
「どうやったら点数高くとれるかの訓練ばかりしている」
「教わった内容と違うことに対しては全然聞く耳持たないし、考えようともしない」

いや、前回のNO.148で(書いたあと仕事に行ったので生放送は見てませんでした)
投稿した内容とリンクしていて正直驚きました。

和田秀樹氏が自著で
「今の70代は知的で反骨の世代」で
ー空前の受験戦争を生き抜いた、団塊世代ー
と讃え、
『この分厚い団塊世代こそが「日本の高度経済成長を支えてきた世代」と感じているからです。
その一番の理由は「学力レベルの高さ」です。
「空前の受験戦争」を強いられた世代ですから、とにかく中学・高校時代は
勉強するしかありませんでした。
団塊世代に中学・高校時代の思い出を聞いてみると、
ほとんどの人が「勉強がつらかった」といいます。
「なんだかわからないけれど、勉強ばかりさせられた」
「周りのみんなが勉強するから自分だけ勉強しないわけにはいかなかった」
つらくても「とにかく勉強しなければ」と思い込んでた世代です。
親も教師も「とにかく勉強しろ」と言い続けました。
「睡眠4時間で頑張らないと合格しない、5時間寝る受験生は落ちる」
団塊世代は、それくらい勉強した生徒が多かったのです。
とはいっても今のように大学の数は多くなく、定員も少なく、ほとんどが都会に集中してましたから、
その結果、志望校を不合格になって進学を諦め、就職する高校生が少なくなかったのです。
実はこのことが
「日本の工業や製造業を世界トップレベルの技術水準に引き上げた」』

と彼らを和田氏は絶賛しているのですが。

参考までに当時のこんな映像があったので。
(これ「たけしのカメラは見ていた」で紹介されてたなぁ)
https://www.youtube.com/watch?v=GE4U6czF2cw
「受験は学生の戦争である」
「嗚呼今日より狂人の如く気違いの如く勉学し断じて初志を貫徹せん」
・・・頭大丈夫か?

和田秀樹氏によると、こういう教育が
彼らの『当たり前』だったわけです。
その教育が「当たり前」だったのが
峰とか尾身とか医者たち、
玉川とかマスコミ連中、
首相とか閣僚とか官僚とか。
『今日本を動かしている人たち』なんですね。

そりゃ
「なんだかわからないけれど、勉強ばかりさせられた」
「周りのみんなが勉強するから自分だけ勉強しないわけにはいかなかった」
「つらくても『とにかく勉強しなければ』」
「親も教師も『とにかく勉強しろ』と言い続けてた」

という教育が当たり前なら、
そりゃよしりん先生のいう「学校秀才」になるわなぁ。

そして
「勉強というのが『させられる』ものなのだから」
当然「自分で勉強しよう」とする発想はないわけで、
「『教わってことから抜けられるわけが無い』
『考えることができない学校秀才』」
になるわけです。

そしてそこまで苦しい「無理矢理」に耐え続けて来て
『試験受かった』『資格を手に入れた』ということが
『選ばれた人間である証』で
その「選ばれた存在」に胡座をかいている立場からみたら
よしりん先生のように
『無理矢理やらされた受験戦争をくぐり抜けないで自分で勉強して知識を得た』
存在が許せないのかもしれません。
(医師国家試験も合格してないくせに!
弁護士試験も受けていないくせに!
偏差値の高い学校でていないくせに!
政治家に言いたいなら政治家になってから言え!
みたいな(笑))

ある意味、よしりん先生にとって最大の敵は
「学校秀才」と「それを生み出す教育法」なのかもしれません。

そしてまだ書いていなかったトンデモ見聞録もじっくり拝見しましたが、
あまりものことに驚くしかありませんでした。
正直、ここまであっさりとデマに乗っかってしまうのか?
そしてあっさりとここまでデマに乗っかってしまう人たちのせいで
下手すればこちらまで同列にみられかねないということ。

まさにこれも「自分の頭で考えない」現象の一つではないか?と。

正直、L.KさんがNO.40で書いた
「紙媒体なら、雰囲気からどういう性格のものかだいたい見分けられるのですが、
ネットだと全メディアが横並びに扱われるので区別が難しい。
これもネットの弊害なんじゃないかと思う毎日です。」
というのは「紙媒体世代(笑)」から見たら盲点でした。
たしかに本屋や図書館などに行って見るのとネットで見るのとは違います。
ネットは自分の欲しい・知りたい情報「だけ」があっさりと手に入るし、
たくさん本のあるところでいろんな方向にはまっていくということもありません。
悪い意味で言うなら「タコツボ専門家」へと向かってしまう、

しかし、現実には本屋はどんどん減っています。
ついに「赤坂」から本屋が消滅する話はニュースにもなっていました。
みんな本はアマゾンなどで買うようになってしまったからです。
欲しい物しか手に入らない。他に興味を及ぶことがない。
正直、本屋にコロナ論買うときにも、
同じゾーンにある他の本と見比べてみたりすることは
いろんな話をいろんな本で多面的に見てみるということは
自分はよくありましたが、そういう機会はもうなくなってくると。
(実際でっかい本屋にいくと1時間では終わらない。絶対)

いわゆる勉強の仕方も本当に「自分の信じたいものしか見ない」
ようになってしまうのではないのでしょうか?
そして「すぐ結果がわかる」「わかりやすい答え」
「自分の望んだ答えに沿ったもの」しか求めなくなってしまって。
だからこそあっさりと「ミエミエのデマ」に飛びついてしまうと。
事実おどれらで「どうやったら点数高くとれるかの訓練ばかりしている」
といっていたのだから。
「点数高くとれる方法」があればあっさりと飛びついちゃうんだろうなあ。
たとえそれがデマであっても。
なんか楽して得しようとするあさましい根性が前のりになってる人ばかりなのかもしれません。
(事実、自分の頃に「必死に勉強していい学校にいけばいい会社にいって楽に暮らせる」なんて思想があったけど、
それってよく考えると「ひたすら楽を求めてる」わけで、真に受けたら将来ひきこもりになりそう。実際引きこもりが今日本ではすんごい人数になってるし)

しっかし自分としても、考えてみたら学生時代に比べると今のほうがすげぇ勉強してると思うし。
(おそらく読者一同もそうなのではないかと思う)


追伸。
ねこみみさんので、
たぶん女性蔑視の人って女の人をモノとして見てるのでしょうか?
とありましたが
おそらくそうだと思います。
NO.26であげた
ホリエモンの『女は金についてくる』や
スーパーフリーの犯罪者の発言はまさにそうですね。
ただ、彼らをひっくるめたそういう人たちは
多分「女性だけ」でなく
『自分様以外はカス』なんだと思います。
たとえば弟が東大王の自称メンタリストのあれなんかは
「いじめられたら相手をひたすら見下せばいい」とか言ってたみたいですが、
「自分にとって必要もない命は軽い。だからホームレスの命はどうでもいい。正直、邪魔だし、プラスにならない」
と人を見下した発言を常にしてるから総スカンをくらうのに
(ていうか総スカンをくらったことを「いじめられた」と解釈してる)
もっと見下すわけですからね。

日時
2022-05-01 04:46
投稿者
南青山D.J
記事
「生娘シャブ漬けと道鏡コンプレックス」小林よしのりライジング Vol.434
No.
108