今回の、放送を視聴して改めて感じたことは、世論、メディア、政治、これががっちりと一つの論理を形成した場合、覆すのは並大抵ではないということでした。この放送を観ている方々は、コロナは茶番で、インフルエンザ以下のウイルスだった。こんな過剰な自粛や、危険なワクチンで解決するようなものではない、という共通認識はありました。パネラーの皆さんもこの点では一致しています。しかし、細やかな点では意見の相違が顕著に現れました。象徴的なのは、宮沢先生の激高の場面。しかし、今考えれば、感染経路なんて大した問題?って思います。科学者として譲れない部分があったのでしょう、そこを突っ込まれることが弱みになるという懸念もわかる気がしますが、あそこまでこだわることか?しかも、宮沢先生は、正確な検証はできないと言われた、ならなおさら、両論があってしかるべきではないでしょうか。結局、双方の論も、正解でもあり、どちらがすべてでもない、というところではないでしょうか。
憲法における緊急事態条項に話が及んだ時、くらたまさんが、反対の意をとなえました。それは予想できたことで、くらたさんの考えもよくわかります。今の政府には任せておけない。なら、なおさら憲法による権力の縛りという、立憲主義を貫く必要があると思います。憲法論議になれば、改憲か護憲かの二元論になってしまいますが、もはやほころびだらけの憲法は改正する必要があるのは明白です。問題は、どのように変更するかです。くらたまさんの意をくむなら、今の政府に憲法改正の素案は任せられない、それは私もそう思います。それなら、改憲か護憲かではなく、どう変えるかという議論を具体的にやらなければ、今の政府ならもう護憲しかないという困ったことになってしまい、今の公共の福祉のもとに何でもありの解釈改憲がまかり通ることになるということです。よしりん先生はそのことを言っているのです。この時間内で、ここまでは議論できませんが、先に書いたとおり、一度固まってしまったものを壊すのは並大抵のことではない、そう感じました。