丑三 やギ の削除コメント


>>345

明白にやギ への批判。リンクを貼ってよろしいです。お気遣いに感謝します。答えは、あの部分をよく見ていなかったからです。

こりゃ馬さんは、御自分の目で全てを見た自己のみの視点で書いていますね。己は、そうではないと断った部分は考えに入れてくれていないようです。

>>325 に、居眠りしていたと初めに書いておいたんだけどな。改めて配信される動画を見なければ駄目だとも書きました。それを見る前の時点で思い付きのパッでは問題が起きます。

それに甘やかしっぽく書いたけど、決して断定はしてはいません。確認の前でしたけれども、否定され続けた人の心を慮った面から書いたつもりでした。学者なら甘えるな、己で強くなれ、と言うのが正道かな、とも書きました。

一番は、単なる科学的見解の違いを順序よく話されればよいものを考えられない非常識行動があったので、異常に見て病んでる所が出たのかなと言うのが、No 325 を書いた動機です。公の場で尋常では無く、己は同じような光景の経験があるので病的に見えます。この考慮無しに批判を巻き起こしたくないと気にしました。

宮沢先生がコロナについて、何回か前に道場で苦渋されながら話されていたのを見て、コロナデマを正すのに保身に走って発言しない者が多い中で、周囲の圧力に屈せずコロナデマとの闘いに発言してくれているのだなと、一定の信用から離れ難い所もあったのです。

しかしながら、間違っている可能性も高いので、これは己の思い込みの可能性も高いとバランスを取りました。そして、映像を確認していないから、間近で見ていたよしりん先生の見解を聞きたかったのです。

それに、正論で一刀両断したコメントがあったのではなく、そうしたらいけない意味で書いたのです。読み方の違いですね。

こりゃ馬さんのような批判は必ず出ると思って、それなりの神経は使いました。しかし、この目で、はっきりした頭で見て判断した上で、No 325 は書いた方がよかったです。曖昧で、態度を決められないうちに書いたのが、煮え切らないような物の書き方になってしまいました。しかし早い内にコメントしたのは、先の通りの懸念からです。

それにしても暴力的行為があった事は確かなので、肩入れが過ぎました。これは
>あの場面で宮沢先生自身がキレる必要があったのでしょうか?自分の考えに固執して、議論をぐっちゃぐっちゃに掻き回すのは、自ら議論を放棄したのと一緒です。そんなものを擁護するなんてのは、それこそ“駄めぇ〜“です。
はおっしゃる通りです。。" " をわざわざ付けられ

『基本』流れているコメントは見ません。目に入る事はあります。コメントもしません。目が痛くなります。それに流されたくもないです。

考えが纏まらないで削除された方の投稿は読みました。しかし批判されるほどのものでしょうか。場を悪くしてはいけない、もう一度考え直してからと思うのはいけない事でしょうか。反対の事を己はしました。結果、己の意が伝わりませんでした。優柔不断な甘いコメントになってしまった。

皇后さまへの喩えは不敬ではありません。心を病んだ人に対し、健康な者が言う言葉の性根を言って、そんな態度はよくないと示したものです。何処をどう取れば不敬になるのか、頭に来たままではなくして、冷静に読んでもらいたい。そうすれば宮沢氏と皇后さまを単に重ね合わせたものでないのがよく分かる

希蝶さんには、今頃、反応して申し訳ありませんが、「小林よしのりはマスクを売ってずるい」と言うのは「思い込み」と言うより、人の言を知ろうしない物凄い言い分です。今回、よく知らず、ある懸念から己は先行し過ぎました。

日時
2022-06-05 13:43
投稿者
丑三 やギ
記事
「謝ったら死ぬ病」小林よしのりライジング Vol.436
No.
353