その先も凄いこと書いてますよ。
現在の状況を予想してたかのような内容です。
宮沢氏には是非ともこの本読んでもらいたいですね。
ディベートの不毛性と腐敗を克服するためには、議論の精神を理解し実践しなければならない。日本社会では、残念ながら、議論の精神が活発に実践されるどころか、いまだ十分理解されさえしていない。日本の政治と思想がいつまでたっても未熟で貧困なのは、知識人・政治家・運動家などが、自分の党派やお仲間集団の蛸壺の中に自閉して、内輪では馴れ合い、別の蛸壺にこもる「論敵」・「政敵」とはディベートはやっても、まともな議論をしようとはしないからである。 こういう日本の状況に照らしてみると、小林さんと私は、これら左右の蛸壺にこもる人々を蛸壺の外に引きずり出し、議論の場に呼び寄せる言論活動をそれぞれの持ち場で実践してきたと言える。しかし、戦後日本の蛸壺は硬い。彼や私が、蛸壺を叩いて、「おい、出て来いよ、ちゃんと議論しようぜ」と呼びかけても、蛸さんたちは出てこないか、別の蛸壺集団からの挑戦とみなして、せこくて汚いディベート的反撃の墨を吹きかけてくるだけである。左の蛸壺を叩くと左蛸から「右だ」と言われ、右の蛸壺を叩くと右蛸から「左だ」と言われる。右・左のレッテルの貼られた蛸壺から抜け出た議論の世界が、左蛸にも右蛸にも想像できないのである。