南青山D.J の削除コメント

今週のSPAともども拝見させていただきました。
どうころんでもロシアの方が悪いのにはびこりまくる
「どっちもどっち論」
よしりん先生のこの言葉
「大人だったらそこからもう一周して、
人にはあえて善悪の判断をつけて行動しなければならない時があり、
その判断の責任は自分が負わなければならないものだと覚悟しなければならない」
この言葉の重みがずーんときます。

紹介されてたライジング433の後、
和田秀樹氏が先月の週刊新潮で
「ウクライナに関する報道では、大抵のコメンテーターが
“ロシアはけしからん”と話していますが、
『自分なら“プーチンにも良いところがあるのではないか”』と考えてみる。
お昼のワイドショーなどは、
ゲストで呼ばれた芸人までもが一様に長いものには巻かれろ的な同じ話をしていますよね。
『私からすれば“前頭葉が老化しているな”』と思ってしまいますね」
と言っていましたが、
もう病気扱いにしてるわけで。
https://www.mag2.com/m/0001686028?reg=news_p5_link01
「世の中のいろいろなことにたった一つしかないと考え、それを信じ込むことは、前頭葉の老化を進め、脳に悪い。
また、それが行き詰った時に鬱になるというメンタルヘルスにも問題を生じる。
ところが日本では、テレビでもラジオでも、○○はいい、××は悪いと正解を求め、一方向性のオンパレードである。
そこで、私は、世間の人の言わない、別の考え方を提示して、考えるヒントを少しでも増やし、脳の老化予防、メンタルヘルス、頭の柔軟性を少しでもましになるように、テレビやラジオで言えない暴論も含めて、私の考える正解、私の本音を提供し続けていきたいと思う」
https://www.mag2.com/p/news/542509
「どこまでバカなのか。先を見据えず露と取引する企業を叩く日本人」
とついには経済を盾におどしをかけてたりする。
いやこっちの方が本性なのか?

権威主義というか、その意見に逆らう前は病気にするんですからね。

こういう「どっちもどっち」論といいながらロシアにつく論というのは
そういうのがテレビとかで当たり前になってきているのに吐き気を感じます。
だからW徹の意見が尊重されたりするのですが、
特にテレビでは否定する話がなさすぎますからね。

そして彼らが言う単純な結論で
あほみたいに
あっちが正しい、こっちが間違いといっているわけでなく、
はっきりと調べた上で国際法上違反であって
「完全にロシアが悪い、ウクライナが正しい」という結論をとっています。

しかしながら、いじめ問題とからめるのはどうかと思ってしまいます。
なによりここで書いたことは
小林よしのりライジング Vol.334「教師いじめのみじめなポリコレ」
で書いたことを真っ向から否定してしまいます。
さらには
「被害者がいじめと感じたらいじめ」
「傍観者も加害者と同じ犯罪者」
「いじめ被害者はどんな理由があっても100%正しい」
ということを認めたわけで
これは極端から極端に写っただけで、
実質「いじめを解決しよう」とする努力を完全放棄しています。

今やちょっとした「叱責、注意」とかだけでなく
「アドバイスや指摘、厳しい言い方、励まし」に至るまで
『いじめられた』ととられる、あつかわれるようになってしまいました。
その結果としての今や常識化したポリコレの蔓延です。
またその結果「加害者は100%の悪」
なのだから
また、この加害者本人だけでなく
加害者がわずかに関わった人まで
「地獄の底まで叩き続ける、晒し続ける、一家心中まで徹底的に追い込む」という事が
というのが『正義』という風潮は常識化しようとしています。

これには復讐の論理から説明しなければなりません。
というのも
1の人が10の力で被害を受けた場合、
10の力には10の力でなく「100の力」で返さなければ意味がないのです。
でなければ、同等のダメージを与えたとはいえません。
「倍返し」ではなく、「乗数返し」なのです。
そして相手が多いほど、時間が経過すればするほど、
乗数は200、1000、10000・・・と増していくことになり
その結果が一種の大惨事となって巻き込まれることになるの多数となりますが
(例:コロンバイン高校とかだし、ある意味ナチのユダヤ人絶滅政策も復讐といえる〈但し本人主観〉)

そしてもう一つは常識化した
「他罰的思考」でしょう。
いわゆる「社会が悪い」といったような甘えですが
これには「自分が被害者である」ということが前提としてあります。
だから以前ポリコレを
「いじめられっこがいじめをしている陰湿な状態」と書いたのです。

現実に、「世の中からいじめをなくすためには
『害虫や病巣を取り除くのと同じ』で、いじめ加害者を全員殺せばいい」
「そうすればいじめはなくなるし、いじめられた人間が自殺したり犯罪者になることもない。めでたしめでたし。」
という結論は起きています。
(それと同じように一部では「ロシア人を皆殺しにしよう」という極端な思考も出たりしてます一部では)

「いじめられっこは
『100%正しいことが確定した!
だから何をいっても、何をやっても正しい』
というのが常識化した結果」でしょう。

ましてや時浦氏も指摘していましたが
驚いたことに宮沢孝之氏とかそのとりまきとかが
「あれ」を
「このイジリ方はイジメだ〜」とか
解釈してたりするわけで、
「被害者がいじめと感じたらいじめ」
「傍観者も加害者と同じ犯罪者」
「いじめ被害者はどんな理由があっても100%正しい」
となってしまった以上
この話「いじめられた側にも悪いところがある」といってはいけないとなってしまえば
この宮沢氏らの明らかないいがかりにも反論できなくなってしまいます。

価値相対主義ではないのですが、
加害者が100%善である場合も
被害者が100%善である場合も
場合によってはあると思います。
ポリコレなんかは
まさにこれが偏った例ともいえるでしょう。

ただ、考えるのを放棄してあっちが悪いこっちが正しいというのは
どう考えてもおかしいのですが、
「どっちもどっち」の人たちは
その考えるのを放棄した人たちと我々のような人たちを同一視して
上から目線で見下しているということです。

もう一度いいます。
「ロシアが100%悪い」のは
感情ではなく、理論的に、法則的に、国際法ではっきりと証明されています。
よしりん先生が
「大人だったらそこからもう一周して、
人にはあえて善悪の判断をつけて行動しなければならない時があり、
その判断の責任は自分が負わなければならないものだと覚悟しなければならない」
と書いたように
テレビや識者に振り回されることなく
はっきりと決断をくだせない人は
結局「じぶんの頭で考えられない」人たちなのです。

日時
2022-06-29 02:00
投稿者
南青山D.J
記事
「【どっちもどっち論】の臆病保守」小林よしのりライジング Vol.439
No.
30