人の死に際して問われるのは美学である。それは、故人だけでなく、故人に向き合う我々もまた、同じである。
「死ぬ覚悟は普通」と小林先生が言えてしまうのも、また説得力があるのも、実際に何度も命を狙われてきたからであり、そこいらの凡人が言ったら白けてしまう。コロナ禍で集会の自由が脅かされる中、自身の職業生命をかけてそれを守り通してきたことも、口だけで民主主義を唱える人間とは異なる点である。「言論の自由」が絵空事にならないためには不断の努力がいる。そしてその自由を行使する以上、またその影響力が強まれば強まるほどに、引き受けねばならない責任もまた、大きくなる。
そして、その責任とは応分であり、市井に生きる我々にも当然ある。元首相の死を巡る様々な言論に触れるにつけ、身につまされる思いになります。