こんにちは、久しぶり2度目のコメントなのですが、前号の小林先生の『大人だったら、ここははっきり「善悪二元論」「勧善懲悪」の価値観をとって、「レイプは悪である」「いじめは悪である」とするのが、責任ある態度というものである。』という言葉に、とても共感できることが最近自分にもありまして。
私は東京都府中市在住の44歳、小学1年生男児の父親でして、最近子どものマスク問題に関して府中市内のママさん11名と共に活動をしているのですが、勿論マスク着用が半ば強制されている状況をなんとかしたいとの目的で、校長・教育委員会と交渉したり、先月には府中市議会に陳情書を提出し文教委員会・本会議で審議してもらったり。結果は残念ながら不採択となったのですが、大きな成果を得ることもできました。我々の陳情を機に、府中市保育支援課が私立幼稚園・私立保育所に「子どもや保護者以外の第三者の指摘等により着用を促すことを禁じる」旨の通知を出し、その結果ある幼稚園では「子どもにマスク着用を求めないことにします。」というお便りを保護者に出し、それまで100%だったマスク着用率が、160人程の園児がいてマスクをしていた子は24人にまで減りました。100%から15%に激減。この活動をやって良かったな、と報われた瞬間でした。そして同様の通知を、教育委員会から市立幼稚園・市立学校にも発出するように迫っており、教育委員会も「本当に検討します。。」と答えざるを得ないところまで追い込んでおります。今後もグイグイ追い詰めてやるつもりです。
、、、という長い前置きで恐縮なのですが、実はその活動の中で仲間のママさんや校長からよく聞かれる意見があり、それは「マスクを付けたい子ども付けたくない子ども、双方の意見を尊重すべき。」というものなんですね。こういう意見の大人、意外に多いです。価値相対主義の欺瞞にしか聞こえなくて、私はこう言いました。
「そのような意見は一見良識的に聞こえるが、大人の責任を放棄した意見にしか聞こえない。現在の子どもは、オウム真理教に洗脳された信者の子ども、と同じ構図なのだからまずはサティアンから救出しその洗脳を解いてあげることが大人の責任だと思う。洗脳された状態、という前提を見過ごしてはいけない。そんな洗脳された状態でマスク着用している子どもの意思を尊重して良いの?」
近頃の世間の風潮は「共生・調和」というものなんでしょうか?
それは価値相対主義に陥りやすい入口でもあるな、と感じました。
私は大学生時代からよしりんの影響をどっぷり受けてきたものですから、価値を追い求めたいです。
そして論理を手放したくないです。
ですので強引にママさん達をまとめて、センチメンタルな情に訴えるような陳情書ではなく、主観・私情を極力排し論理だけで構成された陳情書を提出しました。結果、「行政の不作為の責任」を問われている、と危機を感じた保育支援課が通知を出すに至りました。
そのような成果もあったのですが、同時に「運動に狂うなよ。」と自分自身を戒めてもおりました。
「脱正義論」の影響ですね。小林先生には、このように育てて貰って(笑)、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今号の小林先生の論理もやはり凄いですね。完膚なきまで、、という言葉がピッタリです。
今後もずーーっと応援して参ります!
現在はある件で内閣官房に問い合わせし、マスク全体主義を突破しうる言質も引き出すことができたので、そこからまた何進展がありましたらご報告させて頂きます。
長文失礼致しました。