うさぎさん
御返信ありがとうございます。
さらに考える筋道が見えると共に、共感するところ大でございます。論破祭りに関しても。(と言いつつ、燃料投下している自分もいますが。)
個人的な考えでは、一連の固執派に(敢えて、男系限定の括りを外しますが)、見られる「皇室にかこつけて」の過度の主張には、鼻白んでしまうのですよね。議論の前に。
基本的に、絶対的に「やって頂いている……物語の紡ぎ手」を……にしかならんと思います。
そして「定義」に関しても、既にあらかたの「定義」は明治の御代から、平成に至るまで、既に変えられてると思うんですよ、既に「皇室のご意志で。」
平成においては、「目に見える形」で体現されることにより、その「物語」に共振した人々の数値(なんかしっくりしませんが)が、国民のアンケート結果なんだと思います。
「物語性」のない、それに触れない「天皇論」はありえない……と思います。
国民1人1人の「物語」と、それに「伴走する物語」の話ですから。
意識しようと、無意識であろうと。
受容しようと、拒否しようと。
そんなことを「エリザベス女王の崩御」に対する英国国民、また連邦の濃淡ある反応、また世界の反応に垣間見ております。奇しくも「国葬」に関しても「定義するところ」を呈示していますが。安倍晋三の国葬は、そう考えると「あまりにも恥ずかしい」なと。
生煮えの感想と、とっちらかってる考えですが、今のところの感想です。
masaさん
緊張……わかる気がします。でも「予言(笑)」しますが、おそらく道場終了後は「そんなことを考えていたことは、すっかり忘れて」、「あ~誰かと話したい!」になるかと思いますよ。
私は諸事情の連続で、まさかの仕事にならざるを得ませんでした。無念の一言。
またmasaさんと、監視活動からみた、日本の「物語性」の破壊活動、崩壊していく様について(いや、そをやな大層なことは、私も語れませんが)議論したかったのですが、残念です。
個人的には、結構な比重でしたので。
ともあれ、仰々しい文になりましたが、「議論のライブ参加」、裏山鹿ということで。