ということで、前回の感想を少し(?)
〇 ゴーマニズム宣言・第481回「WGIP(ウォーギルト)洗脳」
よしりん先生のこの記事を読んで、インターネットに、「鎌倉殿の13人」の批評で、「源頼朝が義経の首桶の前で泣くようなことはない、北条義時が奥州に派遣された事実もない」といった記事があったのを思い出しました。
後者については、史料検討をし、義時のアリバイを証明することもできるでしょうが(しかし、『吾妻鏡』などが間違っている可能性もある)、前者については頼朝が多忙であったことを史料から証明し…ではなく、要は史料に記述されない事実だってあるではないか、ということです。とりわけ、頼朝が源氏一族の抗争を見て育った、平治の乱で孤児になった、兄2人と死に別れ、弟たちの存在を知っていながら、会うことができなかった、という視点が、史料検討主義からは見受けられないのです。「鎌倉殿」はそのあたりを補っていると言えるでしょう。
つまり、頼朝の立場からすると、梶原景時をつけていたとしても「自分が義経を平家追討の総大将にしたのははやまったのではないか」という後悔の念もあったけれども、それを記述させてしまうと、鎌倉御家人の統率が取れなくなってしまうかも知れない、謀叛人は謀叛人だ、というおもてむきの共通認識にしておいた方が、自分に逆らう武将も出なくなるし、鎌倉政権にとっても安泰だ、という判断があったやも知れぬということです(義経にひそかに同情するのは自由であるわけです)。
上総広常などの場合でも、同じ事が起こるわけですね。組織をいちから立ち上げ、つくりあげ、維持して行くのは大変だな、と思います。
WGIPの影響ではなく、日本人の本質だ、と思い込んでしまう学者の史料主義もこれと同種なような気もするのですが…いかがでしょうか?いちおう、この程度にしておきます。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第275回「厚労省『コロナ感染で心筋炎』のインチキリーフレットを削除。だが答弁はデタラメ」
こういう、省庁の資料やデータが出ているのに、それを無視してことを強引に推し進めるのは、日本特有の体質なのでしょうか?かりに事実や真実をそのまま公表すると、世の中が混乱するから逆効果だ、というのは逃げでしかないようにも感じます。
極論を言えば、子供に嘘をつくなと言いつつ、内緒でこっそりほかの人のアンパンを食べて、それが発覚しないように嘘をついているうちに、本当のことが言い出せなくなり、困ってしまっているのが専門家であり、マスコミであって、それを庇い、甘やかしてい同僚や共犯者が厚生労働者や今の政府のような気がします。罰するべきところは罰する、で良いのではありますまいか?それでいて、アンパンの盗み食いはやめていないのだから、反省の色なあしですね。始皇帝だったら、焚書坑儒ですね(言うまでもないですが、それは、それで世の中が混乱しますが)
ちなみに、昔読んだ漫画で、こんなのがありました。
交番の派出所の警官が、視聴していた強盗のTVドラマが佳境であったので、上司の電話にその音声を聞かせました。それを勘違いした上司は、署内の警官をその交番に集め、取り囲んでしまいました。上司一人が決死の覚悟で侵入したら、事実が分かり、「だが、この状況をどうほかの警官たちに説明すればいいのか!」と立腹したら、それが不完全に外にひろがり、待期していた警官の一人が掩護のために発砲しました。そして打ち合いになり…というところで、そのギャグ漫画は終わっていて、ちょっと不消化なんですが、これは「ギャグ」だからそれでもいいけれども、同じ状況が今の状態ではないか、という気がするのですが、どうでしょうか?
いずれにしても、大人たちのついた嘘に振り廻されたり、被害をこうむっているのは子供や幼児なんだと思うと、やりきれない思いです。極論を言うと、私は、日本においては感染症報道をTVが一切しなくなっても、あるいは感染症学が滅んでも、本当のことを公表し、アンパンを盗み食いしたやつらの罪を糾弾すべきではないか、と意見なのですが、やはり、まずいのでしょうか?
といった感じです。