亡くなられた鳥山明さんの代表作ドラゴンボールから、戦闘漫画と格闘漫画の違いや人類が無意識に持つ闘い好きの考察など、とても面白かったです。
鳥山明さんの漫画では、Dr.スランプアラレちゃんが好きで単行本も買って読んでいました。
当時、アラレちゃんが女の子達にも人気で、アラレちゃんが眼鏡をかけていたので眼鏡にコンプレックス持っていた女の子達が人気のある眼鏡女子・アラレちゃんのおかげで眼鏡をかけることにコンプレックス持たなくなった、と話題になったのを覚えています。
その後始まったドラゴンボールは、最初はアラレちゃんのような、のほほんとした世界観がありましたが、いつしか過激なバトル漫画に変わっていって私的には面白くなくなったので、読まなくなりました。(初期のドラゴンボールは単行本も買っていた)
鳥山明さんが連載していたジャンプの主な購読者対象は小学生男子。
小学生男子といえば闘いや戦闘が大好きなお年頃です。(今も昔も男子の気質は変わっていないと息子の成長過程を見ていても思います)
外遊びで日が暮れるまで闘いごっこに明け暮れる男の子を眉を顰めて嫌がる女の子、という構図は現代でも変わらない男女の特質の違いだと男女3人の子育てしていた中で感じることです。
こういう特質は世界共通でわかりやすいし、ドラゴンボールを戦闘漫画に変えていったことで更に世界中で人気が出たのでしょうね。
格闘漫画といえば私の中では明日のジョーですが、(全巻揃えて読みました)ひたすらバトルを繰り返すドラゴンボールと違って私がのめり込んで読んだ理由が、今回のライジングゴー宣でわかりました。
明日のジョーは戦闘を繰り返すだけではなく、格闘(ボクシング)を通してジョーがプロボクサーへ成長していく過程を丁寧に描いていたから、私はそこに魅力を感じてのめり込んで読んでいたのです。
こうしてみると、同じ闘いの漫画でもドラゴンボール(戦闘漫画)と明日のジョー(格闘漫画)は全く違う性質の漫画だとわかります。
ゴー宣は知識人との言論バトルが勃発しますが、ゴー宣主人公のよしりん先生が明日のジョーのように、知識人との言論バトルを通して悩み、思想しながら成長していく思考過程が丁寧に描かれているので、読者もよしりん先生と一緒に「果たしてどうなんだろう?」と思想&思考しながら成長していく事ができる。
そういう所がたまらなく面白いのです!
ゴー宣は明日のジョーのような「思想の格闘漫画」と言えるのかもしれませんね!
よしりん先生もジョーのように燃え尽きて真っ白な灰になるのでしょうか…?