SAPIOの大東亜論読ませていただきました。
自分は大久保のことはやはり西郷と並ぶ傑物だと思います。だからあのような俗物のように描かれると受け入れるのは抵抗があります。
明治の改革は留守政府だけで行われたかのようですが、それら改革は使節派遣以前から政府内で示されていた方針を実行したのではありませんか?
正直、西郷や頭山を正義として描くのはわかりますが、敵対する側にも正義があるという描き方が良かったです。
大久保が今の日本を見たら
「うんうん、俺のやり方を受け継いでよく日本を守っているな。」
なんて思うでしょうか?そんなことはないと思います。
とはいえ、批判するなというわけではありません。
自分が大久保を批判するならやはり江藤新平(自身が大河ドラマで見たいぐらい好きな人)に対する処遇は非道であると言わざるをえません。
まあ、自分なりにその時の大久保の心情を予測するなら、司馬遼太郎の「燃えよ剣」で土方歳三が自身の作品である新撰組をメチャクチャにしてくれた伊東甲子太郎にたいする感情といったところでしょうか(土方は伊東を闇討ちし遺体を囮にするという武士として有るまじきことをした)。
しかし、ネット内の西郷はいくらでも批判バカにしても良いが大久保の批判は許さない!という風潮も気に入りません。
今回は先生の大久保観の批判をさせていただきました。失礼しました。