前号、前々号と大東亜論での大久保の描き方を批判してきた自分です。
たしかに、しつこすぎました。
自分には自分の、先生には先生の大久保観がございます。岸端さんが仰るとおり一つの見方に捉われていました。
前号、前々号での批判……、それは自分の望む大久保の描き方(批判はしてもいいが、正義があるという立場で描いてほしい、傑物として描いてほしい等々)ではないからという我が儘から出たものではないかと自分を省み自身の狭量を反省いたします。
これもある種のポジショントークに陥った状態だったと思います。
申し訳ございませんでした。