高森師範の豆太郎はむーすけ(死後、搭乗しなくなった)に代って次回の高森ウインドウズの冒頭に登場されるのでしょうか?ちょっと楽しみです。
「戦争論」および「新しい歴史教科書をつくる会」に出会うまでは司馬史観にどっぷり浸かっていて、「大東亜論」を読むまでは自分は完全に司馬史観を卒業していたとばかり思っていましたが、いまだに自分の歴史観が司馬史観から抜けきっていなかったことを改めて思い知らされています。もともと、司馬史観の元となった司馬遼太郎自身は歴史学者ではなく、時代小説家で池波正太郎や井上靖と同じで当然、小説には創作も多数盛り込まれるはずですし、膨大な資料を調べたとしてもその資料を用いて資料検証したのかどうかさえ解りません。ここで気になるのですが、司馬遼太郎の幕末や明治、昭和が舞台となった小説やエッセイが連載、出版された時、これらの内容を「史実」とした司馬史観は当時の歴史学や戦史学の間では支援されていたのでしょうか?
なぜなら、司馬氏が「歴史と視点」で自信の戦争体験を書いたとき、当時司馬氏と同じ現場にいた元軍人たちの間で内容にあり得ない嘘が盛り込まれていることから大問題となったという証言が残されているからです。しかし、これらの問題がその場で起ってもこれら団体とは全く無関係に過ごしている我々にはそのような事実はなかなか伝わりません。
現在では歴史学も現場の研究者の地道な研究が進み、いままで「定説」とされてきた戦国時代、江戸時代、幕末、明治、そして昭和の歴史が大きく変わろうとしていますがこの「定説」に司馬史観が多く影を落としていて、果たして、この司馬史観の「定説」は当時の戦史学界、あるいは歴史学会でも「定説」だったのか、歴史学者である高森師範か、ライジングの読者にも聞いてみたいです。なぜなら、現在でも「定説」と思っている歴史が司馬史観を始めとする誤解や創作に基づいた間違いであるということも十分にあり得ると思えてならないからです。