そんなに長くない演説なり・挨拶なり・答弁なりの中で同じ言葉を繰り返して使うと、その度に該当の言葉が軽くなり嘘臭くなることがよくあります。
第一次安倍内閣が(2006年)発足した時、ラジオから流れる会見の言葉に「しっかりと」「しっかりと」・・・が耳障りなほど入っていたのを覚えています。勢い込んでその言葉を繰り返す度に中身(話者も内容も;;)が軽くなる印象なのに。
「レッテル」というと学校の理科準備室の戸棚を思い出します。薬品の瓶が並んでいて、危険なものには赤い縁取りのレッテルが貼ってありました(どくろ海賊マークは無かったけど;;)。それは“中身”が何であるかをはっきり示すもの・知らせるもの。使用を誤ったらとんでもないことになる。
短く的確な言葉でその“本当の中身”を伝えるのは欺瞞を暴き流されないために有効。そういう鋭く短いレッテルがあることに気付かされます。ゴー宣にはそういう言葉が次々出てきています。
>レッテルには、実証できるレッテルと実証できないレッテルがある。
だから「レッテル」というものは、一つ一つ正しいか誤っているかを検証しなければならないのだ。
何事も、実証主義でいかなければならないのである。
幾つかの言葉を例に挙げて、検討しつつ「レッテル」の考察を示された今回のゴー宣。「何となくレッテル貼りってよくないこと」という(思考)停止は突破していくものと気付かされました。---そこには思い込みでない、≪実証主義≫が課せられるのですね。
それの無い安易なレッテル借用は「イカレッテル」「ツブレッテル」なんつって(^へ^)>;;。