今週のライジング配信ありがとうございます。
今回のライジングのゴー宣を読んで笑ってしまいました。なぜなら五輪競技場に対する小林師範の比喩があまりにもおかしくかつ的確だったからです。以前から問題となっていた東京五輪競技場は私の周囲でも発表当時からいろいろ言われていましたがいずれも下ネタを含めて肯定的なものではありませんでした。「カブトガニ」はもちろん、「宇宙船」などはまだましで「おまる」や酷いのになると「鳥の糞」「道端の痰」などと言われていましたが、女性器を模っているという小林師範の指摘を読んで、小林師範の洞察力に改めて感心してしまいました。もちろん、指摘だけではなく、その表現力からして、さすがにプロとしてギャグ漫画を描き続けた人だと思い、とても素人が同じ単語を使って表現しきれるものではないと今になって本当に実感します。子供の時は周りの子供たちと同じく「おぼっちゃまくん」を愛読しては下ネタを連発しては皆で爆笑していましたが、大人になってくると下ネタを使っての笑いは勿論の事、男性器や女性器などの人にとって文化、文明の点においても秘部は触れてはならぬ繊細な存在であると解ってくることからおいそれと話題にはできません。もしかしたら私の周囲だけかもしれませんが。
それと、建築界の現状が周囲に溶け込み実用性のある建築物の設計よりも芸術性を重要視しているという内容は今回初めて知りました。実は一年ほど前に渋谷駅を10年ぶりに利用したのですが依然と違って地下鉄からJRの乗換に階段の上り下りが物凄く増えて乗り換えるのに狭い駅ビルの店舗を通らなければならず、駅のホームまでたどり着くまでに以前と比べてかなり迷った挙句に倍以上の時間を費やしたことを覚えています。駅構内はできたばかりで綺麗でしたが経路が複雑で迷いやすく、順調に乗換が出来なくなってしまいました。店舗も敷地が狭く、通り道も狭いことから店への出入りが容易ではなく、人が通っても店を利用しずらいのか人が通る割には店ががら空きだったのが印象的でした。いったい、何の目的でこんな駅を設計したのか当時から疑問に思っていましたが今回のゴー宣を読んでようやく納得しました。
現在は関東のちょうど都心部と過疎地の境界に住んでいますが、過疎地を通っている在来線の駅舎が安藤氏が設計した渋谷駅と同じく使い勝手が不便な建物へと作り替えられています。建て替え前の駅舎はどれも台湾や北海道などの観光地に残る風景に馴染んだ、田園や森林に囲まれた風景に馴染む古民家風の地方ならではの魅力ある駅舎だったのですが建て替えられた駅舎は都心部の駅ビルを小さくした歴史や風景を全く無視した箱モノの駅舎で自動改札口などの導入したにも拘らずSUICAやPASMOなどのタッチパネルが無人駅舎であるにも拘らず駅舎の設計によって自動改札口から離れた場所にあって解り難いので使い勝手が悪く、それまであった待合所が小さくなったのでちょっと利用者が増えると雨宿りが出来ません。さらに建物自体が断熱設備がないことから冬は寒く、夏は暑い上に管理が大変なのか手入れが行き届かずに建物自体、あちこち劣化が生じているなど、建て替えたのに建て替える前より駅舎の状態がひどくなり、只でさえ少ない利用客が駅舎の使い勝手の悪さを嫌ってますます利用者が減るという悪循環に陥っています。
建築物は鑑賞するものではなく、長期にわたって人々が便利性、実用性、そして親和性を求めながら持続的に利用していくためにあるものであって、そこに芸術性はまったくではありませんが、絵画や彫刻ほどに重要視されるものではないと少し考えればわかるはずなのに、こんな間違った建築家に委託するならば一般公募を行う方がだいぶましだと今回のゴー宣を読んで思いました。