na85 の削除コメント

 ふぁんたんさんの質問に関連して、さらにドラマ「デート」について。
 高等遊民(笑)の谷口巧(長谷川博己)が理想とする女性象は、オードリー・ヘップバーン、原節子、峰不二子、メーテルを足して4で割ったような人だそうです。普通に考えると、それぞれコケティッシュ・奥床しい・妖艶・ミステリアスといった全く方向性の違う魅力を持つ女性たちですので、これを足しても酷く平板な人格が出来上がると思うのですが、谷口巧の頭の中では整合性が取れているようです。これを少し解析してみましょう。
 これはおそらく足して4で割るのではなく、状況に合わせてそれぞれの側面が顔を出すという、引き出しの多い女性ということだと思われます。
 ここで西部老師の保守思想を援用しますと、足して2で割るような中庸ではいけない、状況に合わせて使い分けるのが平衡を取ることだ(乱暴な意訳)ということを仰ったように思います。
 フランス革命のスローガン、自由・平等・博愛をそれぞれ伸長していけば、自由と平等が必ずバッティングします。だから、自由と規制の間で平衡を取る活力、平等と格差の間で平衡を取る公正、博愛と競合の間で平衡を取る節度が必要になり、自由が伸長しすぎて格差が開いてきたら、規制をかけて平等を志向しつつ活力に結びつけるわけです。
 さて、では高等遊民という存在は保守なのでしょうか?夏目漱石の小説によく出てくる先生と弟子の関係において、弟子(書生)は高等遊民だと言えると思います。そして、確か西部老師は夏目漱石を日本の保守の一人に数えていました。

 しかし、脳しか働かせないモラトリアムの書生はやはり保守ではないように感じます。というのも、観念論に陥らず(生産)現場に降りて行き、その状況下で二方向の価値の間で平衡を取ることが保守だと思うからです。従って、谷口巧(高等遊民)は保守ではありえないと思います。単に女性の趣味において非常に拘りがあり、相手にだけ難しいことを求めるとんでもない男であると感じます。

 しかしここで、主婦あるいは主夫は、生産現場にいないのか?という設問が立ち上がってきますが…

 これについては項を改めて na85

日時
2015-09
投稿者
na85
記事
「『アラブの春』に学ぶ若者デモの陥穽」小林よしのりライジング Vol.150
No.
52