主婦あるいは主夫は生産現場にいるのかどうか?という問題です。
現代社会では、生産する=カネを稼ぐ、消費する=カネを使う、と思われ過ぎています。しかし、他人と関わって将来的に生産に繋がるような関係を築くことは立派に生産だと思うわけです。現在、経済学分野において盛んに試みられている、家事労働を貨幣的に変換する行き方を、私は好みません。家庭生活の現場には、もっと大切な何か、心を介した何かが流通していると思うからです。もちろん、必要があれば主婦も働きに出なければなりませんし、能力次第では夫と妻が逆転することもありうべしと構えねばなりませんが…。
消費するだけの個人ならぬ私人とは、働かずに親の援助を受けて生きる引きこもりのことを主に指すと思います。従って主婦あるいは主夫の最も大切な仕事は、将来子供を生産に携われる人間に育てることだと考えられます。つまり、家庭生活の現場は立派に生産の現場だと言えます。
しかし、ここでまた別の問題が立ち上がってきます。子供を持たないことを決めた夫婦の場合です。私は、本稿の上段において「他人と関わって将来的に生産に繋がるような関係を築くことは立派に生産」だと書きました。つまり、この他人とは子供に限らないわけです。パートナーが気持ちよく働けるような環境を整えることも生産だと考えますし、共働きの場合でもお互いの支えあいが貨幣的に変換されない生産だと思われます。
以上、かなり強引に立論しましたが…
谷口巧は藪下依子(杏)と結婚すれば生産現場に行けるはず na85