>>51:こいらさん そうですか。寂しいですね。>>49では、共同体の納骨堂とは限定せず、例えば京都には浄土真宗の西と東の本山があり、それぞれ廟所(門信徒の共同納骨堂)を持っていますが、このように色々な形の共同墓地的なものがあれば、直系が絶えても教団や共同体が続く限り祈りは続いていくので、死者も寂しくないだろうなと思ったわけです。思い出の地への散骨だけなら、子孫がいなくなれば祈りは絶えますから。 死者の心を忖度することにどの程度意味があるかは不明 na85