泉美師範のブログ記事「積雪の群馬から」を読んで、関東に住む私としては青柳(バカガイ)を三重では食べずに捨てていると知って、なんともったいないと思ったのは私だけでしょうか?
毎年春になると三つ葉と青柳の貝柱のかき揚げが楽しみで、青柳の刺身ともども、東京生まれ、東京育ちの家の祖母さんの好物でもあります。この貝柱は「小柱(こばしら)」と呼ばれていて、ホタテのように刺身で食べるのには小さすぎることから、一般的にはかき揚げにするか、軍艦巻きにして食べます。しかし、なんでバカガイが「青柳」という商品名にまでして売られていて、関東で人気なのかというと、江戸時代に潮干狩りがカキ養殖、ノリ養殖ともども盛んになって庶民にとって一番身近な生食できる水産物であり、庶民の味でもあったからです。あと、江戸時代の関東地域は目の前の東京湾(当時の名称は江戸湾)には魚介類が豊富にいましたが、漁業技術が泉美師範の出身地である三重県に比べて遅れていて、魚を獲ろうにも捕れなかった時期がしばらく続きました。よって、一番獲りやすく、手に入りやすい生鮮海産物である貝類の消費量に偏ることとなったわけです。当然、消費量が貝類に偏るわけですからバカガイも「青柳」や「ミナトガイ」という名を付けてまで消費することとなりますし、いまでは「赤貝の缶詰」の原料となったサルボウガイも同じくらい消費されたというわけです。
長々と江戸前の「うんちく」を述べさせていただきましたが、何を言いたかったかというと
泉美師範!江戸前を侮辱するなかれ!東京には東京の深い歴史と事情があってバカガイを「青柳」と命名するまでにバカガイの価値を上げてきたのだ!
というわけです。
とはいっても、このバカガイ、流通量と漁業技術が発達するにつれ、関東でも商品価値が極端に低くなったのか、家の祖母さんも戦前は潮干狩りに行ってもバカガイは捨てていたといったなー。アサリやハマグリは喜んで持ち帰ったと言っていたのに。それに家の祖父さんもアサリは浜名湖から態々大量に取り寄せるほどの貝好きなのに、バカガイや青柳が食卓に上ることは見たことがなかったりします。
いまじゃ、潮干狩りに行っても放流されたアサリしか取れなくなりましたが、バカガイはいまだに千葉の干潟などで馬鹿みたいにとれるらしく(バカガイの「バカ」の命名由来の一説には「馬鹿みたいにとれる」から)私が子供のころは船釣りの時に釣り餌などにも利用されていたりもしました。いまはどうかわかりませんが。
サルボウも市場以外の魚屋ではまず、見かけませんし、漁業先進地域だった泉美師範の出身地じゃないですけど、漁業技術と流通が発達すれば消費量も少なくなり、衰退する儚い存在なんでしょうね。バカガイって。ミナトガイや青柳、サルボウと命名されて親しまれてきた貝食文化の儚い物語
と言ったところでしょう。
泉美師範、バカガイ(ミナトガイまたは青柳)を取り上げてくれてありがとうございました。
本には娯楽の時間がある。まさにそうですね。書く時の娯楽にも繋がりますので来週の「ザ・神様」も楽しみしています。