希蝶 の削除コメント

 では、今号の感想です。

〇 ゴーマニズム宣言・第452回「30周年記念・『戦争論』の経緯」
 実を言うと、私はあまり『戦争論』は読み返してはいません。『脱正義論』の内容の方が衝撃的であり、自分自身が自己の正義を盲信してしまう傾向にあるので、心に留めなければならないと感じているからです。
 しかし、私がゴー宣読者になったのは新ゴー宣第7巻からで、そこに紹介のあがっている『戦争論』はその次に読んだ懐かしい書でもあります。少し読み返してみましたが、南京事件の写真が偽物だ、という話や、高村さんの活躍の場面なども印象に残っています。その後のシリーズも、千人斬りの軍人の遺族の苦難(旦那さんが新聞の言うことを鵜呑みにして奥さんを庇わないのが鬼畜、没義道だと思った)、同時多発テロに合わせた冒頭部、白人の有色人種差別や、『新戦争論』の戦争シミュレーション化の場面など、インパクトの強い箇所だらけで、時間をもうけて読み返さないといけない、と思います。

 しかし、この書籍の根幹に「個と公」というテーマがあるのは意外に読み飛ばされてしまうのかなと、とても残念に思います。日本人は偉かった、その血をひく自分もプライドを持て、という意識になってしまい、過去の先祖と比べて我が身を振り返れ、という視点が生まれず、ネトウヨという人種を生み出したことが、人間は誤解を重ねる生物なのだとしても、本を正確にその送り手の意図を汲んで読むことの大切さを思わされます。山岡荘八氏のインタヴューに答えた特攻兵の言葉を、もっと噛みしめるべきなのでしょう。
 できれば、はやい機会に『新戦争論2』を読みたいです。

 以上が感想なのですが、よけいなことをいちおう述べておくと、江戸川乱歩の『黄金仮面』は人種差別小説です。初めて読んだ際に、私はその箇所がどうも気に入らず、長いことこの作品は世評が高すぎるだけではないか、と思ってきたのですが、モーリス・ルブラン氏の『虎の牙』という小説を読んで、それが西洋人の常識だったのか、と唖然とさせられ、作品の価値が一挙にあがりました。乱歩には『偉大なる夢』というスパイ小説のようなミステリがあるのですが、トリックの良さに加えて、フランクリン・ルーズヴェルトへの諷刺もあり、これも流石だ、と感心させられました。あまり『戦争論』とは関係のない話ですが、参考までに。

〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第246回「ワクチン副反応は“気のせい”というデマ」
 私自身、「気のせい」という言葉でいろいろなことをごまかしてきた、あるいは見て見ぬ振りをしてきたので、心が痛いです。岸田首相のモデルナ推進も呆れましたが(そんなに在庫一掃セールをしたいのなら、アヘン戦争直前に林則徐がやったようなことができないのか、それが国民を真に守ると言うことだろう!)、その池谷という人の科学的根拠のない言説にも愚かさを感じさせられます。確かに世の中には急死とかぽっくり死という現象はあるけれども、それが短期間のうちに、急増することの方が珍しいことではないか、奇特なことではないのか、と思う方が常識でしょう。
 と、非難してみましたが、自分自身のことについて言えば、「自分が今、されていることや受けていることは気のせいなんだ、自分が我慢強くなければならない、もっと強い意志を持ち、鋼鉄のような思いをもって、弱みにつけこまれないしっかりした人間にならねばならない」とか考えてきたので、その根本は似ているだけではなくが、そっくりなのだと反省します。人間にはできることとできないことがあり、それは個体差によっても異なるし、全員を一律にしようとする方がむしろ社会主義、共産主義につながるように思えます。
 だからといって、甘えていい、という話にはならず、できうる限り、自分の抱いた夢に向かって努力することはつづけないといけないと思うし、それを禁じてしまったら、それこそ自由の束縛だろうとも。しかし、それは「無理が通れば道路が引っ込む」ではない、「無理が通れば道理が引っ込む」という話にはならないでしょうし、今やっている自粛だ、コロナが怖い、前代未聞の事態だから仕方がない、という話は道理を引っ込めていることに他ならないように思えます。それは、人間、死ぬのが怖いでしょうし、犬死にはしたくはないとか命を惜しむ気持ちも分かるのですが、じゃあ、何のためにその生命を賭けるのか、それこそ、無理かも知れない夢を叶えるためではないのか、という話になりますまいか。酔生夢死では、いったい何のためにこの一度限りのものを活かせるのか、分からなくなるではないか、と思うのです。
 そして、自分の夢以上に、周囲のためと本気で考えるのなら、正しい情報を得て、見当違いなことをしないことが肝腎な話になってくると思います。そのような当たり前なことを2年以上も勘違いしてる日本人の姿はおぞましい限りです。

 いろいろ記してみましたが、「気のせい」と軽々しく使うことは禁止にしましょう。ひょっとしたら、「ゴー宣」や「ライジング」、木蘭さんの文章などを読んでいなかったら、自分もそちら側になっていたかも知れない、そのことをまざまざと感じさせられました。

 しゃべクリのことにも触れておきますが、コロナの詩、誰か作って欲しいですね。私はそういう才能ゼロなので人任せになってしまいます。「およぐひと」なみの名作で。ちなみに、全体主義については朔太郎は『猫町』という有名な小品を著しています。興味のあうかたは是非とも。
 ということで、疲れたので、しばらく休むつもりです。いろいろありますし。
 たけし社長の寄付、もう昨日になりますが、自分も致しました。何とかこの世間の流れが変わって欲しいです。本日の朝の地方紙一挙広告掲載が楽しみです。

日時
2022-02-08 02:16
投稿者
希蝶
記事
「30周年記念・『戦争論』の経緯」小林よしのりライジング Vol.425
No.
202