いつものことですが、遅くなってすみませんでした。今号の感想です。まずはよしりん先生の方から…。
〇 ゴーマニズム宣言・第472回「安倍マンセーの方々へ」
あまり関係ないかも知れませんが、よしりん先生が大久保利通を嫌う理由がよく分かりました。恐らく、大久保も人物的には魅力的で、親切で、優しい人だったのかも知れません。私はNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」を見ていたので、大久保というのは非情だったのかも知れないけれども、(『大東亜論』を読んでいたにもかかわらず)確固とした信念を持った立派なリーダーであったのではないか、というふうに見ていました。江藤の件もやむを得ない措置だったというふうにも(大河ドラマはそのように描写していました)。
西郷と大久保の関係で分からなくなるのは、大久保が死の間際に西郷からの手紙を読んでいたというくだりなのです。私の調査不足かも知れませんが、この二人は政策的には対立してしまったけれども、心の底では互いを理解し、尊敬し合っていたというふうに見ていました。多分、それも真実なのではないかとも思います。
しかし、政治家は人格だけではなく、その政策が何をもたらし、それが現在と後世にどのような影響を及ぼしたか、で判断せねばならぬとなると、やはり大久保から日本は道を誤ったと言わざるを得ないのでしょう。近隣の諸国と友好関係を築き、欧州からの脅威に対抗することも可能だったわけです。それが不可能だったという意見も聞いていますが、だったら、そのような方針を日本側としては本音としては抱いておいて、支那や朝鮮半島の国を誘導する施策もあったはずでしょう。一時的に、それらの国を騙す結果になったとしても。
同じようなことが安倍晋三の施策についても言えるのではないか、と思います。恐らく安倍擁護派は安倍氏は心の底では何とか日本を「美しい国」にすべく努力していたのだ、だから新書まで出版し、自身の腹の底を公開していたのだ、と主張するのでしょうが、「そうなってないでしょう?」というのが、現状ではないか、と思います。
確かに政治家は失脚したら、そこからはい上がるのが大変で、古くは菅原道真や源高明のように配流されてそのままで、物語の光源氏のように准上皇にまでなるということはまずあり得ないのですが、だからこそ、一度総理の座を退き、挫折を経験した安倍氏こそそれにふさわしいのではないか、と思われたよしりん先生の期待を裏切った罪は重いと思います(勝手に忖度してすみません)。
まとめますが、安倍晋三が実際に私たちの生活を楽にしたのか、さらに日本という国の歴史において貢献したのかを考えてみないといけない、と思います。小泉純一郎とともに、安倍晋三の罪は深く追及されねばならぬでしょう。
こんなところです。長くなりそうなので、ここで一区切りします。(誤字修正をしました)