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<東京奠都(とうきょうてんと)>
 生きた伝統と死んだ伝統があり、後者は因習と呼ばれる。伝統とは、時代によって変化していくもの。刻々と変化していく状況の中から、新しい国の形が生まれてくる。
 天皇の在り方も、同様だ。
 明治維新のさなかの1968年、新政府の大久保利通は、宮中の「数百年来一塊シタル因循ノ腐臭ヲ一新」するためには遷都が必要であると主張した。これに対して公卿ら保守派は、「千年の都である京都を放棄することなどあってはならない」と、天皇が京都をお離れになることに激しく抵抗した。
 その後、紆余曲折を経て、天皇は「千年の都」から東京へとお移りになった。さて、その結果、天皇の威光が衰えたり、皇室が存続の危機に陥ったりしただろうか?
 もし、時代感覚に優れた明治維新の指導者たちが今も生きていたなら、長く続いた男尊女卑の「因循ノ腐臭ヲ一新」すべく、速やかに女性天皇・女系天皇の公認へと動いてくれるだろうに。

日時
2022-08-15 14:47
投稿者
Dr.U
記事
「安倍マンセーの方々へ」小林よしのりライジング Vol.443
No.
365