本当にまぎわぎりぎりですみません。今号の感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第473回「ウクライナから台湾へ?」
思うに、「中国」という言葉は、隣国を呼ぶ表現として、本当に不適切です。差別や偏見ではなく、「支那」が最適なのですが、どうしてもというのなら、「もろこし」とか、あるいは古代の王朝の名称を用いて「秦」・「漢」あるいは「唐」とするのがよいのではないのでしょうか?時代錯誤、アナクロと呼ばれるのでしょうが?
他国の呼称は非常に難しいもので、「イギリス」の正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」で、略して「グレートブリテン」・「連合王国」で、「イギリス」は日本の戦国時代にポルトガル語経由の「イングランド」のことでしかないのですが、いつの間にやら「連合王国」全体のものとして通用しておりますし、「スペイン」もあえて言えば「イスパニア」の方が原語に近いし、「アルゼンチン」は「アルゼンティーナ」ですし、「ハンガリー」・「フィンランド」はその国の国民からは「マジャール・ライヒ」・「スオミ」と呼ばれているそうです。確かにできうる限り現地の人の呼び名を尊重するのがベストですが、果たしてそれは可能と言えるのでしょうか?
そして、この問題はその国のアイデンティティとも結びついてくるので、非常に厄介だと思うのです。
前置きが長くなりましたが、つまり、「中国」とは地名ではなく、その国の「政治形態」とか「国家理念」であって、それこそ「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と同じであり、もっと言えば、「ソヴィエト連邦」や「アメリカ合衆国」と同じでしょう。地名でいうなら、「ブリテン」・「北アイルランド」、それと「ロシヤ」・「北アメリカ中央部」と「アラスカ」・「ハワイ」なのですが、「世界の中央に位置する唯一の国」と言ってしまえば、そこがどの辺境地帯であれ、あてはまってしまうという問題が生じるわけです。たとえそこが「台湾」の亡命地であっても。
ロシヤがウクライナを自国領と称するのも、(関係ないけど)セルビアがコソヴォを自国領だと主張するのも、これとよく似ているような気がします。そこには「宗教」のようなものが介在するので、話がややこしくなるのでしょう。
ではそれを無限に認めていいのか、というと確実に異なります。重要なのは「歴史」であり、改竄されたものではなく、記録に残る、残らないにかかわらず、推定されることも含めて「実際はどうだったか」なのであろうと思います。さらに言えば「現状」もはいってしまのでしょうか。しかし、国家によって意図的に行われた「現在」は認めてはならぬというのも真理でしょう。例えば、北方領土の今はロシア人しかいないような状況なのであろうと思いますが(敢えていえばアイヌ系の人も居住していると推定されますが)、だからといって、「第二次世界大戦」の経緯から言っても認めてはなるまいということです。
もっともそれを言ったら、(以前にも別のところも記しましたが)ドイツの「シュレジエン」や現在ポーランド領およびロシヤの「カリーニングラード州」にあたる「プロイセン地域」や、フランスの「アルザス・ロレーヌ」、現ロシヤ領の「カレリア」などはどうなるのか、という問題は生じるわけですが。私は大陸の満洲も現在のロシヤ領の沿海州も含めて、「渤海」のような別の独立国ができればいい、と思うのですが(確か、中東の「キプロス」がそれをやろうとして失敗し、北部だけトルコ系の国になってしまっている)。
しかし、ウクライナや島国である台湾や日本は、あまりそういう問題は起こりにくいような気もします。国際法ろ遵守し、国家の安全保障を維持するためにも必要なことです。『台湾論』などから大分離れましたが、以上です。
長くなったので、ここで区切ります。