すみません。そろそろ次号配信の時間になってしまいましたが、感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第475回「なぜ統一協会の教義に嵌るのか?」
人間の思想の根底にあるものは、教育と環境と生活の中から学び取ったものがあり、それらから来る思いこみのようなものがあるのだというふうに、私は理解していますが、「日本人の自虐史観」とか、「世間」とか「ことだま」のようなものは、それらの結果だろうと思います。一度、それを覆すのは至難のわざであり、この統一協会の件からしても、容易ではないのでしょう。しかし、革命的なことをして、一度それには例外があるのだ、ということを「自覚」させないと、このまま日本人は滅びの道をあゆむのではないか、と思いました。
恐らく、安倍サイドの意見は、「統一協会を逆にこちら側に取り込み、利用して国威昂揚に利用しよう」ということではないか、と想像します(hnadaや正論も購入したけれども、まだ読めていないのですが…)。しかし、現実問題として、「そうなっていないでしょう?」なんですよね。
少し思い出したのは、ヴァロワ朝末期のフランスのことなのですが(といっても、あまりよくは学習してはいないのですが)元国王アンリ2世(ノストラダムスを用いたことで有名な人です)王妃の未亡人、カロリーヌ・ド・メディシスは息子シャルル9世を使って、カトリック(ギーズ公アンリなど)とプロテスタント(ナバラ公アンリ、のちのブルボン朝の国王アンリ4世)の双方の手綱を引いて、宗教改革時の混乱を乗り切ろうとしましたが、結局、サン・バルテルミの虐殺という、プロテスタントの大弾圧を招いてしまいました。そのあとをついだアンリ3世も暗殺され、ブルボン朝になり、アンリ4世はナントの勅令を発して、プロテスタントである自身がカトリックになることで混乱蒐収拾をはかりましたが、これもまた暗殺され、結局、孫のルイ14世はフォンテーヌブローの勅令で、カトリック以外を排除せざるを得なくなりました。
その結果、国外にユグノー(プロテスタント)を流出させる結果となり、かえって国力を削ぐことになったのですが、多分、この場合もフランスという国をまとめあげるには、それが必要だったのだったのではないか、と思うのです。
長くなりましたが、日本の場合もこのようなことが必要なのではないか、まずは統一協会や自虐史観を潰すことだろう(一部の左翼だけが自虐的であればいい)ということではないか、と思います。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第269回「めざすは統一協会の機関誌・迷走『Hanada』」
上述のことである程度述べてしまったかも知れませんので、少し手抜きします(すみません…)。恐らく、コロナ騒動でひっこみがつかなくなった「専門家」・「マスコミ」、そして「政府」の見解と、hanada、willなどがだぶって見えるのは気のせいでしょうか?
ということで、ここまでにします。それでは次号を期待します。「オドレら正気か」については少し日がたってしまったので、また見直します…。