〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第283回「バカ狂乱! 終末期コロナ脳たち」
少し冷静になります。ばかにつける薬はない、といったところでしょうか?
「わたしがきれいだったころ」という有名な詩があるのですが、バット医師や岐阜県の卒業式の話をきくと、そういうトラウマを、将来の子供たちに残すのかな、と辛い気持ちになります。
こういう小説があるのですが…。
とある遊牧民の村では、麻薬タバコを吸うのが成人の義務としてあり、その集落に迷い込んだ人は強制的にそのたばこを吸わされて、集落の一員にされていました。そのありかたに意義を唱えた男が、その集落の大人を全員みなごろしにしました。しかし、そのあとで、子供達に真実を伝えようとした途端、親のかたきと子供たちに殺されてしまいました。
そして、何も知らぬ子供達は、テントの中からそのたばこの残りを見つけて…という話です。「キノの旅」という連作小説のひとつですが(このエピソードはアニメ化はされてはいません)…なんか、コロナ騒動化の子供たちの姿を重ねあわせてしまうのです。
慣習は恐ろしい、そして、臨時のものがいつの間にか、常習となり、それがそのまま子孫に受け継がれたら、と思うのです。
恐らく、強制的にマスク不要を唱えたら、上述の寓話と同じことが起こるのかな、と危懼いたします、じれったくても、やはりゆっくりがベストなのかな?
今、必要なのは寓話でも例え話でもなく、具体的な恐怖解消法なのでしょう。私は不真面目だと言われても、フェイスシールド(+ノーマスク)をつづけるつもりです。
こんな感じです、あまりうまくまとまりませんでしたが。
Q&Aで印象に残ったものをもう少しあげると、私も11月の福岡直前に「かぜ」をひいて、何日か仕事を休んだら、いきなり電話で「検査キットをおくりました」と。それでやむなく出勤したら、検査を(自分で)させられ、三回ほど失敗し、結果、陽性となり、という話になりました。それでも福岡へ行ったのですが(体温が下がったのを確認して)。
アガサ・クリスティの小説で(オチを言ってしまいますが)おたふくかぜが原因で、というのがあるのですが、そういうことは気をつけた方がいいのかも。しかし、本当に怖いのはそういう、検査キットを自宅におくりつける「組織」ではないか、という気がします。「かぜ」は誰だってひくけれども、それを他者や集団がどう判定するか、ではないか、と。
私も中森明菜のその曲は好きかな、と。誰も聞きたくもないですか。
あと、同じ穴の狢とは外来種渡来が原因だったのかな、という勘違いを一瞬してしまいました(あれは穴熊ですね)。
その漫画はよんだことがないのですが、立派な「古典」でしょう。目を通す価値あり、かな?
などなど。ほかにしたいこともあるけれども、寝ないと、また先述のように言われそうで。
食事もまだだけれども、禰津子ちゃんじゃないけれども、体力恢復が大事、かな?
それでは次号を期待します。