私たちが東京裁判史観を受け入れたかどうかというのは、戦後、国際社会に参加するための踏み絵になっている面がある、という現状認識は理解できます。
そして日本が「重武装中立」するために近隣諸国との「信頼醸成」に成功したとして、「重武装」ならそれほど難しい話ではないかもしれません。彼らが許す範囲での、という条件付きですが。
しかし「中立」という価値を守ることのほうが、ずっと大変な事で重要であると思います。
今現在の国際関係というものが歴史状態の積み重ねで出来ているのならば、自前の歴史観を、建前であっても放棄してしまうと、日本にとっての「中立」とは何か?誰から見ての「中立」なのか?というのが見えなくなり、「中立」を主張することも困難になるのではないでしょうか。
その上で日本が軍事・内政・外交のフリーハンドを確保し続ける事が本当に出来るのかどうか疑問です。
宮台氏の言うような信頼関係を醸成しようとすればする程、「重武装」は出来ても、「中立」(独立)という最も尊い価値は遠のいてしまい、結局、今のように米・中・露などの大国の都合に振り回され続ける結果になるように思えてなりません。
日本にとっての「中立」(独立)とは何か?が見えなくなったからこそ、「北朝鮮が怖いから米国のイラク侵略について行くしかないんだ」と言う愚かな選択があったのであって、反戦主義や生命至上主義を超える価値観で対抗できなかったのだと思います。
私は「重武装中立」と「自前の歴史観を守る事」は切り離せないものであると思います。
もしかすると宮台氏は昔言ってた「オヤジの慰撫史観」のようなものを念頭に考えているのかもしれませんね。