SNSが砂粒の個人を加速させ、共同体が崩壊しつつある現代では容易にカルト化してしまう問題を論じていましたが、学校の中でもインスタントカルトは頻繁に発生し、もっと昔から当たり前のように存在していたと思えます。
オウムのサティアンのような、カルト空間と化した学校では倫理による自浄作用は期待出来ないだろうし、教師や行政が隠ぺいしているとなると、小林先生の言うとおりもはや警察権力の介入しかないのかもしれません。
子供の世界は基本的に家と学校という狭いものである事が多いので、学校に行く以外の選択肢が乏しく、あったとしても取りにくいという問題もあると思います。
ここでも学校区単位での地域共同体の構築がキーワードになるのではないでしょうか。