人にはそれぞれ事情があったりするものなので、なるべく狭量にならず、さまざまな可能性に思いを巡らせたく思う。
学校で迫害を受けている事を親兄弟だけには知られたくないと思うタイプの奴はたくさんいる。
その理由も人それぞれ。
迷惑や心配をかけたくないとか、逆に家族の恥だと叱られるのを恐れてとか。
自分の価値観に照らして、そんなこと「ありえへん」「考えられへん」と断じてしまうのは自己中心的な思考停止なのではないかと思う。
「自分が親なら気付いてやれたわ」と言い切る人は余りに能天気であると思う。
自分が子供の頃、親に一切の隠し事がなかったのだろうか。
親に自分のすべてを晒して、行動のすべてが筒抜けの子供の方が珍しいと思う。
更に、子供が被害を受けているのを知った時に現状で親に何が出来るのかも考えねばならない。
栃木県の片田舎である佐野市で「イジメ」によるママ友自殺事件というのがあった。
我が子が学校で「イジメ」を受けているのを知った母親2人が「やめてほしい」と加害児童の親に抗議したところ、その加害児童の親を中心にしたグループから「イジメ」を受け、なんと被害児童の母親2人が自殺したという。
学区内共同体、おそるべし。
母親2人の心の弱さよりも、学区内共同体の陰湿さが余りに横溝正史的な世界である事実に怖気が走る。
子供の被害に気付かなくて地獄。気付いても地獄。
気づかなかった父親ってばドンクサ。
子供残して自殺する母親ってばアホクサ。
と切り捨てる前に、同情や憐憫の気持ちで心を寄せなくとも、それぞれの事情を踏みまえた上で考えを深めていきたいなと思った。
事情といえば、俺の兄貴の子供が背負っているリュックサックには紐がぶら下がっている。
心優しい叔父さんである俺はその子供をよく遊びに連れて行っていたのだが、その時に俺はその紐を手に持ち、ほてほてと歩く。
傍目には犬を散歩させているみたいに。
でも、その甥っ子って自閉症で、手を繋ぐことに恐怖感があるのかパニックを起こすのね。
かといって野放しにすると、制御不能に爆走して車道に飛び出したりして危険極まりないからリュックサックの紐を持って、ほてほてとピクニックするのであった。
紐に繋がなきゃ外出できない自閉症の子供だって青空の下でピクニックをすると喜ぶんだぜ。
決して犬扱いはせず、ちゃんと餓鬼扱いしてますから、紐に繋いだ子供を見ても、酷い鬼親だと罵倒しながら通りすがりに腹を蹴り、唾を吐きかけ嘲笑を浴びせるなどはしないで欲しいっす。
そんな甥っ子想いの俺は、安藤忠雄とラーメン屋なんでんかんでんの社長の区別がつかない。