しんや の削除コメント

二本立て配信、ありがとうございます。
15日の朝生を見て、先日会社帰りに『日本のいちばん長い日』を見て、この週末で昭和天皇論も読み返しました。先生と映画のトークイベントで対談した田原総一朗が、昭和天皇が責任逃れをしたかのように思い込んでいるのが残念でなりません。映画で昭和天皇の何を見て、よしりんと対談で何を話したんだ…と呆れてしまいました。

朝生でも何人か、「昭和天皇の戦争責任」を言っている人がいましたね。

そもそも米英との開戦を避ける最大限の努力をするよう、昭和天皇は政府に指示しておられたのですよね。しかし(やむを得ない状況だったとはいえ)国民が強く望み、政府が決定し、立憲君主たる昭和天皇は不本意ながら聴許された。
にもかかわらず、国民の力では収集をつけられなくなったからと今度は昭和天皇に「ご聖断」を仰ぎ、玉音放送をお願いしてようやく戦闘を終わらせ、占領が始まってからは「自分が全責任を負う」と死の覚悟までさせた。

これだけでもう、国民として昭和天皇に対して申し訳なく、また感謝せずにいられない気持ちになります。(大東亜戦争の大義も信じているし、戦った先人への敬意ももちろんあるのですが)

さらに「開戦時に止めてくれなかったから大変なことになった」と駄々をこねるのが、「昭和天皇の戦争責任」を主張する人たちだと私は思っています。
「どこまで昭和天皇に甘えるんだ!」と言いたいです。

対談で先生もおっしゃっていましたが、国運を懸けた戦争に臨む以上、どう終わらせるかまで考えて始めるのが当然ですよね。
戦争にかぎらず、みんな問題の根っこは同じなのではないか、と思っています。
廃棄物処理の方法と場所が未定で事故の想定も甘いまま稼働する原発、スタジアムの建設プランが杜撰すぎるオリンピック、異次元の金融緩和の後どう辻褄を合わせるのか謎の「アベノミクス」。
共通するのは「自分たちの行為が大変な事態を招くかもしれない」という危機感・当事者意識のなさ、平和ボケではないでしょうか。

日時
2015-08
投稿者
しんや
記事
「寝屋川中1殺害事件、近代化の闇に魔物の徘徊」小林よしのりライジング Vol.145
No.
60