あえて断言しよう。
小林よしのりライジングは毎回げっつい面白いと。
日々の生活って大変で、生計を立てるのにヒイヒイ言って血と泥と汗と油と涙にまみれながら働いて、帰宅したら風呂に入る気力もないまま缶ビールを一缶飲んで昏倒しちまう。
テレビのニュースもチェック出来ず、新聞を広げる余力もなく、畳の上にバタンキューする毎日。
そのような生活を送っている労働者階級にとって、小林よしのりライジングは思想することの命綱でごいす。
ニョホホと笑えて、しっかと学べるゴー宣が、どうにか自分を『考える人』として『人』たらしめてくれていると実感しておます。
ワイは猿やない。
ワイは人や、考える人や。
と、風呂上がりに絶叫してビールを飲んで、ライジングを読んでいる今日のワイです。
猿ではない人である俺は中学生の頃はバレンタインデーちゅうものを憎み怨み呪っていました。
何故ならばクソほどモテないいじめられっ子だったから。
でも青年期にアホほど仰山チョコレートを渡されるような立場になったら、バレンタインってアリやな。って思う浅ましいイケメンになってしまいました。
ハロウィンも同じく、以前ははしゃいでるアホは全員ブギーマンに惨殺されてまえ!
と思っていましたが、身近にいる幼い子供たちがオバケに扮装して賑やいでいる姿を目の当たりにしてしまうと、ハロウィンもアリじゃん。
子供たちが楽しんでるなら微笑ましいじゃん。
と浅ましく思ってしまうボキなのでした。
なんたら浅ましい猿なのでしょう。
考える人でありたいのに、結局は考えなしの猿のままのボキ。
早く人間になりたーい!
難しいことを易しくしてみせるのが一番難しい。
それをサクッとやってみせるのがゴー宣の凄み。
花形満的な凄み。
読者が難解だなぁと呟いたのなら、白鳥の水掻きよろしく、水中の労力を見せつけることなく、水面上でクールなスマイルで分かり易くしてやろうじゃないのと言ってしまえるイケメンさ。
かっけー!
猿な俺も「相克」よりも分かりやすいタイトルだと嬉しい。