前回のライジングコメント欄で諫議大夫さんから近々開かれる関西「ゴー宣道場」の本題「とりま民主主義はデモか?」について自分の考えを述べてほしいと書かれていたので、ここで書かせていただこうかと思います。
まず、自分が考えるのはそれぞれの立場と視点が大事で、たとえば国会議員を含む政治家にとっての民主主義とデモは何かを考える必要があると思いました。それは
1.民主主義において選挙における國民の投票数と投票獲得数が政治家の政治生命を決定する
2.デモは民主主義だから起きるものではなく、健全な民主主義國家を目指すことを必ずしも前提とされていない
例:独裁国で起きたアラブの春とデモが発展して生じた20世紀の共産主義革命
よって、國政を担う政治家にとって政治家を続けられる唯一の手段とは投票数の獲得となります。そして現在最も効率的な投票数の獲得方法が団体票の獲得となります。そして、団体票の獲得をするには選挙区の企業や組合、協会などの代表に票を集めてもらう必要があります。たとえば地元の商店街だったら商店街組合長および商店街組合、地元の農業、漁業なら農業組合、加工食品組合などです。もちろん、この中には選挙区内で活動する大手企業や労働組合も当然含まれます。そして、その選挙区内で立候補者が交代する時には前回の立候補者からこれら団体票を引き続き獲得しなければならず、前回の立候補者の政治方針をそのまま受け継がなければなりません。
よって、現在の選挙では例外を除いて企業や協会などの団体の代表が選ばれているのであって個人の思考を持った国民によって選ばれているわけではない。農業などではTPP反対を公約にして投票を獲得したか見えるものの農協などは基本的にTPP後の農業廃業を含むその後の生活の保障を約束しているのであって農業を続けるためにTPPを本気で反対しているのは数の割合からすれば極少数であると聞きます。
よってもし、政権を動かす場合は団体票を動かせる立場にいなければならない、もしくは団体票に影響を与える立場に持っていかなければならない。安保法制反対デモには誰も自民党の選挙区における団体票に影響を及ぼす人物が参加していなかった、もしくはこれら人々の行動が国会議員の団体票に影響を及ぼすと議員が判断した場合、安保法案の採決も違った形になった物と考えます。
団体票が政治家の政治生命に大きな影響を及ぼすという現状を直視する以上は結果として団体票を動かすために小林師範が言う様に「現場を持って偉くなる」しかないわけです。また、もし政治家を志す場合にもそれぞれの議員、政党がどの団体によって支援されているのかをよく見ておく必要があるのです。
また、デモを行うにしても対象は誰で、その対象とした者はいったい何によって職業生命は維持されているのかを認識しておかないとデモの目標の達成は大変に難しく、ほぼ不可能であると言わざるを得ないわけです。米国の選挙における投票は現在でも国民一人一人の投票が勝敗を分けるのではなく大企業などの団体の意向が勝敗を分ける形となっていて、このために米国では銃の規制は整えられず、貧富の差は拡大し続けているわけです。恐らくは民主主義を採用している国は多かれ少なかれみな、似たようなものではないのかと思います。
よって、民主主義とは団体を動かせる偉くなった人が議員の政治生命を左右するのであって民主主義が国民一人一人の意志に基づいて政治家が選挙で選ばれているという形で運営はされていないというのが結論であって現時点では現場を持って政治生命を左右する団体で偉くなるのが一番正当な道と言えるわけです。
長文失礼しました。何かの参考になれば幸甚です。