理作先生の「つまり道徳を語るということは、悪を語ることなのかもしれません!」に同感です。学校や親が子供に道徳を身につけさせるのは、悪を教えることでもあると想像すれば、少し怖ろしくもなります。
道徳や倫理のテーマで、何よりも大切な前提は、些細でも何か問題が発生しそうなことに「気づける」感性だと思います。気づけなければ、理作先生の仰る通り無意識的に「遮断スイッチ」が作動・スルーでおしまいです。
何の縁か、企業や学校で倫理教育の仕事をするようになって十数年経ちましたが、理作先生がブログでさらっと書かれたことにようやく気付いたのは5,6年前くらいでしょうか。気づきの感性や物事の健全な考え方などを体得してもらうためにやっているのが、仮想的な事例について、トコトン当事者意識をもって自分に引きつけて感じて考え、他者と議論を交わし、最適と思われる具体的な方策を、リアルな勇気や覚悟をもって判断・決断していく訓練です。
先人達の叡智を踏まえた考え方や課題解決プロセスなどに関する方法論は、もちろん沢山あるのですが、リアルな社会活動の現場では、ほとんど役に立ちません(誰もが薄々感じてますよね。笑)。巷に溢れる各種の道徳本や教養本の類いも同様です。
なぜこれらが役に立たず効果が低いか、随分考えた時期もありました。今となっては当たり前すぎるくらいの認識なのですが、簡単に言えば、実践(実戦)的な道徳や倫理を身につけることは、勉強や学習というよりも、むしろ身体を使った水泳や武道の体得のようなもので、残念ながら、机上だけで実践が無ければ一向に身につかないんですよね。勉強ばかりしていると、却って肝心な感性や実行力の涵養を阻害されがちで、あの世で閻魔さまに「お前はどうして沈んで溺れたんだ?」と問われ、「泳ぎ方の本を沢山持って泳いだのですが、まだ足りませんでした」みたいな回答に陥りかねません。
関西道場にリアル参加して改めて感じましたが、ゴー宣道場は、知識や論理を勉強したり学習するというよりも、むしろ感性を研ぎ澄ませて何かを感じ取り、頭脳を含む身体で体得していく、看板通りの「道場」だと思います。だから、ライブに参加するのが一番イイんですよね! 今回の「道徳」のテーマは、いかにもゴー宣道場らしいテーマで大期待です!!