梯子を外された?よしりん先生に梯子を外されたって、どう梯子を外されたのか、梯子を外されただけでは判らないよ。
己は読解が薄っぺらで、そのくせ書くのは回りくどく理屈になって、細かい事は忘れてしまいます。そんな己でも、よしりん先生の訴えは、筋道を通しているのは読み取れています。だから、よしりん先生を支持しています。そうでなければ支持のしようがありません。
時々ね、反対意見を持つ事もあります。しかし、襟首掴まれてみると、伊達に凄んでいる訳ではないと思い直せます。筋があるからです。
その筋道が完全にづれていたら変節した、転向した、梯子を外されたと言っても構わないと思っています。
梯子を外されたと言うのは、筋を読めていないからではないですか?筋の読めないのは「選民意識」の働いてないか疑って見た方がよろしい。
もくれん師範の以下引用は『』で
『自分は特別に選ばれた人間なのだ、なにもわかっていない世の中の民とは違うのだ』から『気に食わない言動を排除したり、「自分の正義」を布教して』『「向学心」ではなくなって』『自意識を高じさせるための知識だけを選んで吸収するようになって』ないか?
従って己も「選民意識」で通っていない筋を、通っていると思ってないか検討すると、思い当たる節は無いです。ここでは全部を書かないと水掛け論になってしまいますね。
しかし先生は、顔看板晒して筋の全部を書いています。先生が言うように、批判するなら論理を以って、筋の理解出来るように反論してみないといけません。論理のあれば、時間と能力の有る人によって批評してもらえると思います。
しかし論理の無ければ、放置され、無視され、削除されます。無体な削除のあれば、己は、ここを離れます。しかし、そういった事は行われていません。
『自分の意見が』『大勢に読まれる立場になったときは、同時にその場で間違いを晒したり、恥をかくこと』を『引き受け』られず、匿名の『守られる場所だけで物を言う存在』にならずに、広く盛大に大衆に受け入れられるか、やってみるとよろしい。これが出来無くて、間違いも自覚不可能なら、余計な口を出さずに、せめて黙って猿のがいい。
但し、偏った者らに囲まれて満足しているようじゃ駄めぇだよ。これまで間違っていたのが明確になっても、よしりん先生に間違えを認めず、謝りもせず、舌と文字で詐欺商売している者らと一緒になったら、これも駄めぇだよ。劣情をぴくぴくさせてるだけじゃ駄めぇだよ。
今言えるのは、このくらい。丸呑みする時はつっかえないように気を付けてね。