kellow の削除コメント

今回のゴー宣を拝見して思い出したことがあります。
かなり前の生放送で、小林先生がもくれんさんと押し寄せる罵詈雑言コメントを眺めながら
「“私を見て”って言ってるんだよ」と呆れつつも優しい発言をされていたことです。
しかしネトウヨたちに限らず、実はみんな一人が淋しくて、認めて欲しくて仕方がない現実があるのがよくわかりました。

小林先生の思想を見ていると、公論というのは天下国家だけでなく、庶民・大衆の視点からも「国」を捉えることが大事なんだなと改めて考えさせられます。
まさにスクナビコナが第24回で言っていた、「本当に良い国として治めるには、人の暮らしという実態を隅々まで知らねばならん。」「もっともっと現場を知れ!」なのですね。
身近なところでも、仕事をどう進めていくかという点で、上層部の意向と現場の状況が乖離していると、いずれは破綻し、結局は現場がツケを払うはめになったりすることはあります。

靖国問題でも、小林先生は「国民の意識・覚悟はどうなのか?」ということを常に踏まえておられました。
それが高森先生と靖国への認識は同じなのに見解に温度差があった理由かと思っています。

その典型例が、自称保守の人たちの思考を停止した“原理主義”であり、
自分らの思い通りにいかない時だけ「ポピュリズム」とか「愚民」とかの言葉を使って国民を切り捨てる姿勢なんでしょうね。
そんなことをしていたらどんどん庶民の感覚と乖離していくのは当然だなと思いました。
まさにあの人たちは反面教師ですね。

上が現場を無視するのではなく、下が文句ばかり言うのでもなく、仕事でも国でも「私心」を排して、最もいい方向、いい形を探る。
それが思想であり、それぞれが目指す公論なのかもしれないと思いました。

日時
2013-12
投稿者
kellow
記事
「『ポエム化社会』にある深刻な問題とは?」小林よしのりライジング Vol.70
No.
110