私自身は結婚しておらず、従って子供もいないのですが、子供を主体とした地域行事で共同体の存在を実感することが多いのです。
・小学校の運動会(体協役員で参加したが、少子化のため体協種目の方が多い。終了時間も早い)
・夏の祭り(男子小学生が太鼓を叩くのが基本。やはり少子化のため、女子を入れたり他所の地域から子供を借りたりなどという緩和策もあるようです)
・夏祭り(前出とは別)の出店(違う地域から来る子供も多い)
等……。こうした交流を通じて「子供が嫌い」だったことが(小学生の頃、下級生にからかわれたことが原因)だんだんと「可愛らしい」という意識変化を生んでいるような気もします。同時に「自分にこんな子供がいてもおかしくないのか……」「あの時こうしておけば」などという少しの悔恨をも沸き起こっています。そこで思うことで一首。
○子を連れて 父母となりしは 同級生 この純愛に 学ぶこと多し
父の方は私の幼馴染みで、保育園から高校まで同じ(『東大一直線』を読ませたほどの仲)、母の方は(中学は同じ)高校の時一年だけ同じクラス。中学の時に交際を始め、高校どころか大学(東京の有名私大)も同じで、やがて結婚。二人の息子を祭りに連れて来ていました。
しかし同級生の女子が結婚しても、なぜか旧姓の印象が強いものです。
○結婚し 母へと変わる 近所の子 今の名字で 学ぶ距離感
幼馴染みの場合、名前で「~ちゃん」と普段は呼びますが、嫁ぎ先の名字で「~さん」と呼ぶと、なんかぎこちなくなるものでしょうか。やった事がないのですが、そのような経験のある方はおられるでしょうか。
前回、長い前振りが許された(と思っている)ので、このパターンにしました。
最後に違う話題。「水落オープン」も面白かったのですが、いかがでしょうか。