トッキーブログでは、青ネギさんと言うより南天さんに向けて主に反論されたと思っていました。南天さんは、すぐにでも批判の鉾を収めろと言う感じだったからです。
批判の限度を越えて、非難になっている段階ではないのですから、すぐに批判を辞めるのはおかしいと思います。
青ネギさんのおっしゃるように情に働きかけて翻心させるのは良い方法とは思います。ならば、どうした やり方が有るのか考えると難しいです。本人から離れた陰で情のこもった話が伝わって、本人が翻心する場面など時代劇なら見かける光景かも知れません。しかし、言論空間で情を以って翻心させる方法は何かと言えば思い当たりません。
経営上の労使関係のような人間関係とは違うと思います。
言論で闘っている方々を相手にするなら、まず、批判を正当に行うのが普通と思います。多くの方々の批判を届けるのも一つの方法です。
言論に真面目な方なら、批判、反論を受けて、何も言わず、反論せず、翻心もせず、態度を変えず、ただ黙っているのでは言論人の器ではないです。そして批判や反論を受けて、拗ねたり怒ったりでは言論人ではないです。批判に、まともに答えられず、理屈にならない理屈でしか答えられないのも言論人の資質ではありません。それに、藤井、施、両氏は、これまでの批判くらいなら、何も問題はないと思います。むしろ、批判のあって有意義と捉えると思います。
情で理が曲がるのは有り得ます。その逆も然りです。情と理の関係は大事です。人の内面でも外交上でも、情と理は穏やかで均衡が良いです。青ネギさんの考えは否定出来ません。
しかし、非難ではない批判の範疇なら、それは平和な方法です。篁 五郎ちゃんへのトンデモ見聞録は非難でなく批判でしょう。戦争を排した平和な取り口です。それが言論の自由による批判なのですから、今のトッキーさんの取り口に批判は勇み足と思います。
しかし、青ネギさんは南天さんのように、すぐにでも矛を収めろではなく、情を大切にしてとの主張ですから、それはそれで分かります。ただ、それをどうやるかを考えると、経営学とは違って、言論では、まず批判をしっかりすると言う訳で、再び、先の言に戻らなければなりません。
トッキーさんは、両氏を地祭りになんてしていません。そこの所は南天さんも理解した方がよろしいと僭越ながら思います。