昨日の感想です。と言っても、あのことになってしまいますが…。
私は化学とか医学の話は専門外ですが、「菌とウイルスは異なるから、ドアノブから感染することはない。それだけの量のウイルスが存在しない」という話にも一理はあると思いました。ひょっとしたら、こちらにミスがあるのかも知れない、とも。
しかし、今、話題にすることはそういうことなのでしょうか?それは、この騒動が収まってから、学術的に研究すべきことではないのでしょうか?
私はあの場面で、このライジングでも取り上げられた、森鴎外の「脚気」の話を思い出しました。宮沢先生にも長年、ウイルス学を研究されてきた学者としての矜恃があるのでしょうが、人間にはどれだけ調べ尽くしても調べつくせない「未知の領域」が存在し、また専門外の意見から「ヒント」を得るということも多々あるのだと思います。自分も、人のい言うことに耳を傾けない、それでも納得が行かぬと反抗的になったりし、我を張っているとしばしば言われてきたものなので、他人様のことを言うことはできないのですが。
「常識」があやまっていたからこそ、アリストテレス(だったはず)の天動説が否定され、コペルニクスの地動説が現れたわけですよね。だからといって、アリストテレスとかエラトステネスなどが阿呆だった、愚昧な人間だった、ということにはなりませんですよね。その道の「先駆者」と呼ばれるのではないのでしょうか。
例えば自分のことをあげますが、「かな」とか「漢字」のことにとても執着しています。それでトラブルになったこともたびたびですが、それが絶対だと思っているわけではありません。問題点や矛盾点を論理立ててあげてくだされば、その話題に応じます。そのようにして人間の考えは「アップグレード」してゆくのではないか、と。
>一般的な感覚としては「対策すると感染しないのか?対策しても感染するのか?そもそも恐れるウイルスなのか?」が知りたいのであって、感染経路はほとんどどうでもいいんですよね。
>でも、あの場で意見が異なっていたのは、コロナウイルスの主な感染経路や、マスクの効果に関しての細かな違いくらいだったかと思います。今現在コロナウイルス自体が脅威でも何でもないということでは意見が一致していたのであれば、それらはあまり大きな違いではないと感じています。
本当に、その通りだと思うのです。今、肝腎なのは、一般大衆のみならず知識人の精神に深く根を張ってしまったコロナ恐怖症どうやって解消し、元通りの社会を復元するかではないのでしょうか?
>宮沢先生を引き留めた中川先生の態度は立派でした。ただの酔っ払いじゃないなと感服しました。
同意します。あの場で宮沢先生を退出させたら、ゴー宣道場が意見の同意者のみを求める閉鎖的な場だということになってしまいます。
言はずもがなのことばかり記しましたが、こういう「論争」も公論形成には不可缺で、徹底討論とは「十番勝負」の藤井氏や施氏ような下手な妥協点を見つける工夫をするようなものではなく、時には自己のすべてをかけてみることも必要だろうと思います。
とは言え、いちおう、「謝罪」はして欲しいですよね。後からでも宜しいので。
など
最初の1時間にトラブルがあったのですか。トッキーさんも大変だったこととお察し致します。実を言うと、井上先生の最初のスライド解説、例によってナルコレプシーか、あるいは前日まで仕事で疲れていたのか、うつらうつらでした(感染が精子と卵子の結合に似ているとか、岡田晴恵の写真とかがあったのは覺えています)。タイムシフトで確認しようと思っていたのですが、もう少し頑張れなかったものか。でも、会場、暑かったですね。
有り難うございます。私はただの物知りなだけで、(上述のように)自分の与り知らぬことも沢山あると思っていますし、すぐ調子に乗る軽薄野郎です。また機会がありましたら。
最後に、基礎医学研究者さん、声をかけてくださり、有難うございました。昨日は帰宅後、疲れてしまって、そのまま眠ってしまいました(それで今、コメントを書いているような情況です)。
遅くなりましたが、以上です。