高森先生のブログを読んでの。
> 同神(注・五十猛(いたける))が朝鮮半島には
植林をしなかったと伝えているのは、
当時、朝鮮半島の山々が禿げ山だったからだろう。
なるほどと思いました。
で、わたしはこう思いました。
まだその頃(少なくとも仲哀天皇、仁徳天皇あるいは雄略天皇より前の時代)には大きな船を作って“日本から“恒常的に“朝鮮半島へ渡る技術は無かったのではと推察しました。
もちろん、“外来種“なんて概念は当然ながらないし、朝鮮半島に持って行っても、その木々を育てる人材がいなければどうにも仕様が無かったのかもしれません。…なんて事を考えてみました。
それにしても、リモートとは…陛下に進言した“自称“学者の罪の重さを感じずにはいられません。