希蝶 の削除コメント

 今号の感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第465回「宮沢孝幸の【帰る芸】は幼稚で醜悪な議論破壊である!」
 まず最初に、今回のオドレら正気かLIVEを開催してくださった関西の公論サポーターのかたがたに、遅ればせながらお礼を申し上げます。
 関西サポーターのかたがたは、5月の宇野常寛さんの回と連続して、設営の準備をされたのだから、2ヶ月連続で苦労をされたわけで、同じく2ヶ月連続して参加した自分がそのことに思いが至らなかったことを恥ずべきことと思います。

 生放送で、よしりん先生は『脱正義論』にこの件をたとえられていましたが、私は、『大東亜論』の最初の方で箱田六輔が自殺する場面をも思い返しました。頭では思想や主義が大事と分かっていても、つい数合わせが大事と思い、焦燥感を覚えてしまう。さらに、そのつもりはないとしても、誰かに注目されると気分がよいと感じてしまうものなのでしょう。
 私も『脱正義論』の川田龍平の姿におぞましさを感じたのですから、自分はそのようであってはならないと自戒しているつもりだったのですが、やはり「構ってほしいさん」の要素があるのでしょう。調子に乗ってはいけないと、改めて反省します。

 宮沢氏のことについては、もう返す言葉もありません。自分で播いた種なのだから、自身で解決するしかないでしょう。仁王立ちして、ベルトの風車でも廻し、似非仮面ライダーにでも変身して、反対論者をショッカー扱いして、ライダーキックごっこをし、PTAのクレームでも受けて、自滅すれば宜しいのではないのでしょうか。

 以前、よしりん先生は、そのまんま東さんのことを「カーニバルの王」というふうに批評されていたように覚えていますが、同様に、宮沢孝幸氏も「コロナ祭典の王」のように舞い上がっているのではないか、と推察されます。当初は純粋な科学者としての使命だったはずが、いつの間にかちやほやされること、注目を浴びることが目的となり、本末顛倒が起きてしまう。
 そして、専門家だからその道のプロで、そのジャンルのことに知悉しているというのは、傲慢ではないか、と思うのです。いったい全体、この世にどれほどの事象が存在し、それについてどれほど個である人間が全体像を把握できるというのか。自分が見ている場面でしかないわけで、宇宙の大きさを自分の物差しではかろうとしても、自分の背丈の範囲以上のことをつかみ取ろうとするのは不可能なのではないか。

 さらに言えば、自分の体を支えるだけでも大変なのではないか、「自分の足で立つ」ことはとても大変なことだと思います。正直言って怖いです。誰かに庇護して貰ってくれた方が安心です。しかし、もうそれはできないのだ、自分で考え、思想することは、自分のことに責任を取らねばならぬということだろうと思います。
 しかし、それでも自分はそれをしたいと思います。世の中に「絶対」がないとしても、究極の「真理」は必ず存在するはずだから。そのためにも人の話に耳を傾け、どれだけ勘違いをし、恥をかくことがあっても、自己を高めたいと望みます。

〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第259回「厚労省データ改ざん余波と、河野太郎の罪」
 厚生労働省も下手ないいわけをするものだな、と思いました。すなわち、前提に「接種ありき」なのでしょう。だから、どんなことでも述べられる。「未接種の感染者を多く見せる」ことが大義名分になり、それで誰もが納得してしまう。接種日附が不明ならば未接種という粉飾がまかり通ってしまう。元ワクチン単体大臣の妄言も通用してしまう。
 一体、この世で何が正しいと判定され、何が間違っているとレッテルを貼られるのか、疑問に感じます。みんな、「コロナは恐怖」という雰囲気だけ共有できればいいだけなんでしょうか。それに異論を唱える方が悪魔みたいに判定する。一体、何なのだろう、と。
 最近、そういうふうに感じるので、少し鬱屈しています。それでも、私は仕事中は別としても(それでも使い捨てマスクは使わないようにしていますが)、やむないところでは「コロナ君マスク」を身につけ、可能な限りマスクを外して活動するようにしたいです。高森先生のおっしゃられるように、論理が必ず最後に勝利すると信じます。

 以上です。今回はちょっと気張り過ぎました。(_ _ )/ハンセイ

日時
2022-06-12 18:33
投稿者
希蝶
記事
「宮沢孝幸の【帰る芸】は幼稚で醜悪な議論破壊である!」小林よしのりライジング号外
No.
286