すみません、随分コメントが遅くなりました。それにしても、今回は2週間分だけあって、オドレら正気かの内容もあるのか、コメントがかなり多いです。読みのが一苦労かな?
〇 ゴーマニズム宣言・第469回「ロシアと戦前の日本が同じだと?」
うーん、というところですね。どうして、侵掠国家ロシヤと戦前日本を同一視できるのだろうか。識者は、類似しているということは違う点もあるということだと認識できないのか?
実をいうと、とても気になったので、この旅行前に「クライテリオン」を買い、北海道旅行中に読もうと思ったのですが…うまくいかないです。行きの飛行機は乗り遅れたし、ホテルでは疲れて寝坊もしたし。円山動物園とか豊平館とかへ行くのだけで精一杯でした。
とりあえず、時間をもうけて読んでみます。ちなみに売り切れ寸前で、ターミナル駅の書店では売り切れで、本店までゆきました。そんなに部数が出てなかったのかも知れないけれども(笑)
前置きが長くなりましたが、恐らく、ロシヤとウクライナの問題は、セルビアとコソヴォの話にたとえるともっと比較できるのではないか、と思います。発祥の地(聖地)と発展した場所、という点で。あるいはパレスティナなのかな?無理に戦前の日本と比べなくてもよいのでは?もっと言えば、「清」の発祥は「満洲」、今でいうところの中国東北ですよね。
つまり、豊かな場所、あるいは豊かではないけれどもその民族にとって大切なところがあって、そこが民族の聖地であり、その場所を失ってしまうと国家のアイデンティティーを失ってしまう、だから絶対に取りもどさなければならない。しかし、そのこととある特定の国家や民族の生存や繁栄のための「生命線」は、確実に違う意味だろうと思います。セルビアとコソヴォの場合も案外、違うのでは、と。
日本人の祖先は満洲から生まれたわけではないし、たまたま経済的に発展できる場所が「満洲」で、そこは「清」の聖地であるのだから、宣統帝溥儀を皇帝に抱いて、満洲族のナショナリズムに訴えようとしたというだけで、それはロシヤがいわゆる「キエフ公国」から発展したという史実とは何ら重ならないし、比べようがない、という感覚の方が普通なのではありますまいか。私も通り一遍にしか歴史を囓っていないので、こんな程度です。
私は、ロシヤとは「(東)ローマ帝国」と「モンゴル帝国」の合体であり、だからこそあれだけの領域を一体化しようとしており、さらなる支配地域の侵出をしている。ソヴィエト連邦の崩潰で縮小したから、再度栄光の時代を復元しようとしている。そういう認識にしかならないのですが?
ちなみにアメリカ合衆国は「ローマ帝国」の再現・「パックスロマーナ」だと思っています。そこに民主主義とか立憲主義とか、「中央集権主義」だけではない「州権主義」とかもはいりこんでああいう形になったのではないのかという理解です。だから、ロシヤのことを非難できないのかも知れないけれども、いちおうは「国際秩序」を守ろうとしていますから、まだましなのでしょう。比較をやるのだったら、そちらでしょう。
とりあえず、次号も楽しみです。その前に、「クライテリオン」、読まないとですね。