全く同感にございます。
サッチャーは「フォークランド戦争」での「振るまい」に対してだと(私が思うに)、興味深いです。
それに匹敵する「振るまいの機会」は「彼」には、あったはず……なんですが……。「逆さま」ですね。
ただただ「不快」です。
また「こんなことで」、「貴重な、有限な時間」を浪費するのも「不快」。
「価値の序列」も、当然「優先順位」も、グダグダ。「不快指数」がいやますばかり。
個人的には「アイルトン・セナ」の国葬が印象深いです。
何度も報道で観ましたが、プロサッカーの試合中に悲報を伝えられ、崩れ落ちる両軍の選手と悲鳴……。しかし、すぐに「セナを称える歓声」と「激しいプレー」をしだす選手たち。
セナの遺体を運ぶ飛行機を迎える、ブラジル空軍機。
消防車で運ばれるセナを出迎える群衆。老いも若きも、貧困層も富裕層も入り乱れ、「お祭り騒ぎ」で走り出す。
日本では考えられないし、その意味も違う……けど、胸を打つ国葬でした。
国葬……ではないけど、「上島竜兵」を、「送った」、「アメトーク」での「芸人たち」の振るまいの方が、自民議員より「すがすがしく、立派」だと思います。