今号のゴー宣「遺骨収集・千鳥ヶ淵墓苑が形骸化する理由」に加えて、時浦さんが纏められた、「靖国論」の“ウィキ書き直し”(すばらしい文章!!)、両方読めば・・・余すところない何と言う説得力でしょうか。素直に聞く耳さえ持っている人ならば、ズッシーンとその胸に深く落ちていくはずだ、と思いました。
「靖国論」は出版された時に読んでいたし、数回参拝しているというのに、その根本的な意味を深く受け止めていなかったことを恥ずるばかりです。戦友や遺族たちが参加する「慰霊祭」にも参加させて頂いてきましたが、「慰める」の言葉には確かに、泣きじゃくる子の頭を「よしよし」と撫でているイメージがあります。「顕彰祭」でなくては浮かばれなかった・・。
そうだ、形は同じ参拝・祭る、であっても、「顕彰し感謝する」のと「霊を慰撫する」感覚では雲泥の差があります。「人は意味づけ(演出)によって、心身ともに生きもすれば死にもする」---過去を生きた人もこれからの人も。
確かに本人も遺族も、その最期、その悲しみ、葛藤、それからの人生への影響・・・様々な事情はあるでしょう。しかし、「靖国」の意味を心得ず、無思慮にいじり回すことは(それも国のトップが!!)、英霊に対する最たる冒涜だと思います。時代時代を生きて、今に時代を繋いできた人々に対しても。
「靖国神社」の誤った意味づけに翻弄されては他国との関係・これからの進む方向も確実に誤ると思います。