配信ありがとうございます。
小林先生の『戦争論』という名作を読んで
根無し草で、いつも自分探しが趣味だった私が
物の見方、考え方すらが180度変わってしまった。
『戦争論』の最終章に書かれた言葉
「自分を自由にしてくれる束縛」
この言葉に出会うまでにどれだけ苦難の道を歩いたか。
根無し草で、自分探しが趣味の人間は、
「束縛」があるから、「自由」じゃない、
「自由」じゃないから、「個性」が発揮できない。
「個性」が発揮できないから、
「本当の自分」ではない、
本当の自分が出せないから「生きていて苦しい」と
真剣に悩んでいたものです。
この思考から「解脱」するのに、
特効薬となる書物など当時ありません。
ポストモダンだの価値相対主義の
時代に答えなどあるわけがありません。
時代の縮亜ともいえる「自分探し」病
その末期の症状に私は苦しんでおりました。
私の「自分探し」病の末期症状は、
カルト宗教や自己啓発セミナーといった
全体主義の中での「思考停止」でした。
考えるのに疲れたのと、
カルトや自己啓発セミナーといった
疑似共同体の中にいればいずれ「自由」は
手に入ると信じたのです。
小林先生の『戦争論』に出会って、
「自分を自由にしてくれる束縛」という
言葉を知り、個の根無し草の社会の、
対極にある、あの尊い精神の大東亜戦争の
時代にリンクした途端、
「自分探し」以外の価値観が芽生え、
あの尊い精神がついには、
「自分探し」病を駆逐するに至ります。
当時27歳のある若者の現実でした。
「自分を自由にしてくれる束縛」。
縦の歴史軸と、横の共同体の中で
苦しみももがくことを選択してから、
なぜか、生きにくさは不思議と
払拭されました。
あれは自分の人生の紛れもなく
転機でした。
あの時『戦争論』も出会っていなかったら
自殺しているか、どこかのカルトで
勧誘活動でもやっていたでしょうね。
もう少し早く小林先生の作品に出会って
いれば、とか悔いもありますが、
そこはご愛嬌です。
小林先生、
当時の自分を「救って」下さって
心からありがとうございます。
自分がくじけそうな時、今でも
「自分を自由にしてくれる束縛」
という言葉を反芻し覚悟しております。